Yukiyanagiな日々

趣味で創作活動しています。野生動物、北方狩猟民大好き。創作活動の報告や、日々思うことを綴ります。

第二部 秘めたるもの 

        更に加工(mini)5

                    第1章 不慣れな生活

 絵理奈は決して寝ないつもりでいた。しかし、緊張感が薄いというか隙があるというか、結局うとうとしてそのまま寝てしまった。気づくと、鉄格子の窓からまぶしい朝日が差し込んでいた。男は牢獄の隅に敷かれた藁山に腰を下ろして腕を組んで寝ている。いびきや寝息は聞こえない。
 気づくと、さっきまで腰のあたりまでおろしていた毛布が肩までかかっている。自分でかけた記憶はない。
 彼が掛けたのだろうかと一瞬目を見やったが、怪しくてなおかつ感じの悪いあの男が親切だとは思えにくい。何となくいやな予感さえ感じていた。
 ふと男の手元を見た。組まれた右腕に鍵の束の紐がかかっている。絵理奈はそっと起きて、取れるわけもない鍵に手を伸ばそうとした。
「何してる」
 男が声をかけた。寝起きの声ではない。
「…………起きてたんですか」
「寝ない寝ないと言いながら結局寝たんだな。毛布を蹴脱いでは体が冷えるというのに」
「囚人の身のことは考えてくれなくていいです!」
 絵理奈はそっぽを向いた。
「……お前馬鹿じゃないか? こっちに対してだいぶ勘違いしてるようだろ」
「はい?」
 絵理奈はキッと彼を睨んだ。ところが、その目線は彼の左膝に向けられた。いつの間にか包帯が巻かれている。
「お前が21世紀とやらで何を学んだか知らんが、こっちを淫らな奴だと思うのは失礼だぞ」
 全部見抜かれていた。絵理奈は怖くて思わず胸に手を当ててしまった。
「お前には一切興味ない。疑っているだけだ。この世界のことを何にも知らないなら、余計に野放しになんてできやしない。それだけだ」
 男はゆっくり立ち上がった。
「あの上着を羽織れ。この世界でお前に教えてやらんといけないことがある」
 彼は絵理奈の背後を指差した。木枠に藁を積まれたベッドの隅に、昨日絵理奈が脱いだ黄土色の上着がつくねられていた。
「はい……」
 彼女はただ従うことしかできなかった。
 彼は衛生面、時間配分といった基本的な生活の仕方を説明した。
「毎朝あそこで公衆浴場が開かれるそうだが、イヤなら此処の川辺でも使っておくんだ」
 と言って連れてこられたのは人通りのほとんどない川辺だった。川の向こう岸に林が見え、手前は草が生い茂った平たんな所である。たしかに人が来る気配はない。プライバシー的には多分大丈夫かもしれないが、かえって危険な予感さえした。
 さらに彼は絵理奈を町中へ連れて行き、貨幣の使い方まで話した。
「え? ってことはあそこに閉じ込めっぱなしにするわけじゃないんですね」
「そう言うと思っていた。だがな、晩課の鐘が鳴るまでには必ず戻るんだ。もし帰ってこなかったら、見つかるまで探すから覚悟しておけよ」
 いきなり「覚悟しろ」と言われて絵理奈は無意識のうちに身震いした。
「後で地図を描いて渡す。お前のことだから、描いておく範囲だけで十分なはずだ」
 町をひとまわりし、牢獄に戻ると、男は牢屋の隅に置かれた小さい机に羊皮紙と羽ペンとインクを置き、手早く地図を描いて丸め、絵理奈に手渡した。
「あ……ありがとうございます」
 彼女はおずおずと地図を受け取る。
「礼を言われることなんてしてない。ここに人がいるという気配がばれたら困るのはこっちなだけだ」
 男は顔をそらし、相変わらず無愛想な態度をとった。
「あの……ひとつ伺ってもよろしいでしょうか?」
 絵理奈は今、絶対に聞いてはいけないようなことを聞こうとしていた。
「何だ?」
「どうしてフードかぶってるんですか? いつでもどこでも」
 なぜかものすごく低い声になってしまった。
「顔を知られる必要がないからだ。お前にもほかの人にも」
 意外にさらっと交わされたので絵理奈は少し驚いたと同時に安心した。だがそれは納得したという意味ではない。しかし、それ以上聞いたらうるさがられるのは間違いないと感じていた。
「そんなことよりもっと気にすべきことがあるんじゃないのか?」
 彼は絵理奈と顔を合わせず筆記具を片付けていた。絵理奈はとっさに表情を険しくして尋ねた。
「今後あたしをどうするつもりなんですか? まさか死ぬまでずっとってことないですよね?」
 すると男はムッとしたように絵理奈に向き合った。
「好きでやってるんじゃないんだ。お前が元いたところにさっさと帰って、こっちと一切接点持たないようにしてくれればそれでいい」
「だから! 何度言わせるんですか! 来たくて来たんじゃないし、どう帰ればいいのかだってわからないんですって!」
「大声を出すな!」
 男が歯をむいた。今までどういう表情をしているのかほとんどわからなかったのに、今日初めて表情が(半分)わかったので絵理奈は口を閉じた。普段怒らない人が怒ると怖いように、普段顔の分かりづらい人物の表情がわかるととても怖く感じるのだった。
 気のせいだろうか、今男の糸切り歯がやけに長かった気がした。
「お前が『21世紀』とやらに帰れないなら、それまでここに居るしかないだろ」
「…………」
「私もお前をずっと監視しているわけにはいかない。お前と関わって、正直面倒事が増えたとしか思わないんだ」
 絵理奈にはこの男が何をしている人物なのかは実際のところはわからない。ただ、武器を持っているうえ顔がわからないとなると物騒な予感しかしなかった。
「私はこれからやることがある。お前は出たいなら出ればいいし、そこにいたいならいればいい。但し静かに過ごせよ」
「はい…………」
 男は牢獄の扉をキィーと鳴らしながら出て行った。
 まだ午後を過ぎたばかりだが、絵理奈は出かける気になれず毛布にくるまり、カバンから本を出して読み始めた。
 日本語の活字を見つめながら絵理奈はふと思った。
(此処はフランスだとあの男の人言ってたけど、じゃあ、なんで普通に言葉が通じるの? 同じ日本でだって、16世紀でこんな風に普通に会話ができるかどうかわからないのに)
 やっぱり皆その気になりすぎている(日本の)現代人ではないかという気もしてきた。たしか、アメリカには「アーミッシュ」と呼ばれる昔ながらの生活をしている人々がいると彼女は聞いていた。テレビでそういう生活をしている人々の様子を見たことがあるが、テレビの人たちは19世紀ふうの生活だった。ならば、此処は16世紀ふうに生活している人々の居住区なのだろうか。だが、いくらアーミッシュでも、時代まで昔だと思うはずがない。本当は21世紀なのに16世紀だと言い張る人がこの世に存在しうるのだろうか? それに、いくら昔ながらの生活でやっていくとしても、あの男や衛兵たちのように武器を普通に用いるのはどうなのだろう。情勢まで昔に再現したがるものだろうか。やはり此処は過去の世界なのではないか、では、なぜこんなに容易く言葉が通じるのだろう。絵理奈の頭の中は混乱していた。



「あの空間、ほんとはいったい何なんです?」
 白樺教授の助手が文献を棚に戻しながら聞いた。
「過去をよみがえらせたものだよ。過去そのものではないけどね」
 教授は頬杖を突き、複雑な文字が並ぶデスクトップを睨みながら答える。
「『よみがえらせた』……?」
「過去そのものには行くことはできない。けれど、過去の世界は再現(サイゲン)できるんだ」
「……? 『模倣』ってことですか?」
 助手の手が止まった。
「いや、書いて字のごとく『再び現す』んだよ。そして、言語選択してこっちの知ってる言語に吹きかえることもできるんだ」
 教授は画面から目を離した。目が疲れるのか、一瞬目頭をつまんだ。
「最新の魔術工学で特定の年代をよみがえらせる技術が生まれたんだ。でもそれは『現実』ではないから、いずれは崩壊するし、そこに存在する人々も生物学的に『生物』とは言えないんだ。あくまで過去の行動を取っているだけだからね」
 「魔術工学」とは、魔術と科学技術を融合した新しい技術である。今から20年以上前にイギリスで開発され、世界中で科学者や技術者、魔術師が共同でひそかに研究を進めている。
「では外部から関与しても影響はしないのですか?」
 助手は手にしていた本を机の上に置き、教授のわきに腰かけた。
「いや、それが不思議なことに対応するんだよ。もちろんそれで『現実』のこっちの世界に影響が出るということはないけどね」
「……なんだか不思議ですね」
 助手はふいに笑った。
「全くだよ。本当はまだ試験的範囲内だし、実用化は極めて危険なのに、僕の不注意で全く関係ないかもしれない人をその空間に突き落としてしまった……」
 教授は手を組んで肘をついた。その顔に笑顔はない。
「いま大学内の学生や教授、事務員のデータベースを片っ端からチェックして、いったい誰が行ってしまったのか突き止めてるんだ。それから、『向こう』の何処にいるのか、どうやって救助するのかの手立ても考えてるんだよ」
「私も手伝います」
 助手は教授の顔を見て言った。
「ありがとう」
 助手の顔を見ず、教授はそれだけ言った。



 いつの間にか眠ってしまったらしい。はっと気が付くと辺りは真っ暗になっていた。それからまもなく、男が帰ってきた。――――さっきと格好が違う。真っ黒な長い裾のマントに真っ黒なフードであった。
「寝てたのか?」
 そう投げかけると、男は抱えていた布袋を絵理奈が横になっているベッドのすぐ脇に置いた。
「これは何なんです?」
 彼女は起き上って袋を拾い上げた。
「着替えだ。さすがにいつまでも同じ服を着ているわけにはいかないだろう」
 彼は絵理奈の向かいの奥に敷かれた藁の上に腰を下ろした。月明かりをもろに受けていた。
「ありがとうございます」
 礼を言っても仕方ないと返されそうだが、それは関係なかった。してくれたと感じたら素直に礼を言う、それが人としてあるべき態度だと絵理奈は信じていた。


 翌朝、その日は空が曇っていて牢屋の中は薄暗かった。臨時用にいつもつけていた腕時計は役に立たない。何故なら、昨日から気づいていたことではあるのだが、時間と日の流れがずれているからだ。朝なのに20時と表示したり、午後なのに午前1時と表示したり、完全に使い物にならなかった。あの男には鐘を頼りにするよう言われたが、「今何時」なのか知りたいときには頼りにならない。そう思うと、絵理奈は、「現代人」がいかに時間に捕らわれているか、時間を気にしすぎているかを痛感させられた。また、時間に頼りすぎて体内時計を無視しているのかも感じられた。
 袋から取り出したのはこの世界、いやこの時代のこの国ではごくありふれた婦人用衣装だった。四角く濃い褐色の縁取りがされた襟もとに黄緑色のゆったりした袖、あまり広がりがなく、刺繍もあまり施されていない簡素なドレスだった。それといっしょにややおしゃれに刺繍の入った被り物と、多分髪を覆うためと思われる頭巾が入っていた。
 着替えが手に入ったのはいいにしても、これを何処から手に入れたのかと思うと不安だった。
 今のところあの男に嫌な目に遭わされてはいない。むしろ普通に考えたら親切にされているくらいである。突然来てしまった不慣れな場所ではあるが、とりあえず寝る場所は確保できているし、この世界において「帰る場所」もある。生活の仕方も教えてもらったしお金も貰ったし、着替えまで借りるなり貰うなりしたのだ。だが、見た目で人を判断するわけではないが、あの風貌で一体何をしているのかわからない。彼に関する情報を聞き出そうとしてもなんだかんだ言われて無視されてしまう。それが彼女に知られたくないからだとすると余計に怪しい。だから彼女はあくまで彼に対しては警戒していた。
 昔の衣装の着方なんて全く知らない。さすがにあの男もこういうことには全く言及していなかった。絵理奈は独自の発想で服を羽織った。すると意外にも普通に着れたではないか。その上あの有名なコルセットはついてなかったので、胸が苦しくなるといったようなことはなくて済んだ。
 男から僅かながらお金をもらっていたので、おなかがすいたら軽く何か買って食べることは出来る。絵理奈はお金の入った袋を懐に入れて出かけた。
「よう、お嬢さん、うちのリンゴ、買っていかねぇかい? 絶品だぜ!」
「お嬢さんお嬢さん! これ! 新大陸からもたらされた『とうもろこし』ってやつだよ! くせになるよ!」
「これも新大陸からきた『かぼちゃ』だよ! スープに使うと旨いんだぜ!」
 市場を歩くと店の人に次々と声をかけられた。やたらと「新大陸」という言葉を耳にする。
(そっか、16世紀はもう新大陸の発見があったんだ。ってことは大航海時代にもう入ってるってことか……)
 彼女は高校の世界史の内容を思い出した。
 適当にリンゴを購入してみたが、この時代の人間がその辺人のいる所でリンゴをかじるとは思えにくい。人目を気にする日本人気質の絵理奈は、買ったところでそそくさと人気のないところへ向かった。

 のどかな川べりに来たところで絵理奈は一休みしようと思った。近くに木陰がある。そこに腰掛けようと向かうと、木に釘で紙が貼られていた。
「……注意……? 狼男……?」
 張り紙にはフランス語でそのようなことが書かれていた。第二カ国語でフランス語を学んでいる絵理奈にはこれだけわかった。
 なるほど張り紙には、いかにも恐ろしげな毛むくじゃらの狼男が描かれている。足が半分水に浸かってる様子から、此処で狼男が目撃されたということなのだろう。
 言うまでもないが、これを見て絵理奈が怖がるわけがない。これはおそらく、狼系のトランス型の人がたまたま通りかかったところを見られ、見た人が勝手にここまで大げさに誇張しているだけだと思った。向こう岸は草はらが広がるだけだし、当時文化圏が違うトランス型の人がふいに来てしまうのもおかしくない。



 その頃、例の男は建物の屋根の上に立っていた。屋根の上から地上を見下ろしている。しばらく動かずにその場に立っていたが、何かを見つけたか、さっと動き始めた。
 屋根から屋根へ飛び移り、目の前に少し高い建物があるときは壁の出っ張りを伝ってよじ登り、そこから大ジャンプして次の建物へ飛び移った。
 激しい運動のためか、男はやや息切れしている。だがその声は小さい。
 彼が狙っているのは、どこかへ急ぐように馬を走らせる一人の騎士だった。
 騎士がたどり着いたのは、貴族と思われる小太りの中年の男のもとだった。宮殿の中庭に、その男がいる。騎士は馬から降り、何か書類を手にして駆け足で向かっていた。フードの男は中庭の回廊の屋根の上に到達し、身をかがめて様子を伺った。
「おお、よく来たな。無事だったか」
 貴族の男が騎士を迎えた。
「ハァ……ハァ……はい! ……あいつには……見つかりませんでしたよ……」
 騎士は兜を取って膝に手を当て、ぜいぜいと息切れしていた。
「いや、油断は禁物だ。どこかに隠れてるかもしれないぞ。――――それより、例のリストは持っているのだろうな」
「はい……これがそうです」
 騎士は立膝をついて身をかがめ、貴族の男に書類を手渡した。彼は大きな宝石のついた指輪をはめた手で無言で受けとり、開いて中を確認した。
「よかろう。本部に書類は届いたと報告するんだ」
「かしこまりました」
「神のご加護があらんことを」
 そう送られて、騎士はさっと中庭を後にした。だがあまりにも急いで動きすぎたので、さすがに疲れたのだろうか、中庭から外へつながる回廊を歩いて進んだ。
 フードの男はその騎士の後を追う。ゆっくり屋根から降り、物音ひとつ立てずに回廊の床に着地すると騎士の後をつけ、じりじりと距離を縮めていく。手を延ばせば肩に触れられそうな距離まで接近すると左の手首から鋭く長い刃物を突出し、騎士の首元に腕を回して抱え込み、後ろからその刃物を突き刺した。「うっ」と僅かに小さなうめき声を上げて騎士の体は崩れ落ちる。男は騎士が急に倒れないように支えながらそっと体を横たえらせた。
 男は次に先ほどの貴族の中年男を狙うことにした。貴族の男が去ったところを把握しているのか、中庭の植え込みや木々に隠れながらターゲットを追った。
 長い廊下は歩く音がよく響きやすい。彼はつま先立ちしながら慎重かつ小走りに廊下を進んだ。
 向こうから話し声が聞こえる。彼は廊下の柱に身を潜め、扉の向こうの様子を伺った。ところが、背後から足音が聞こえてきた。柱の影からそっと振り返ると、巡回していると思われる衛兵が腰から剣を提げてこちらへ向かっている。このままでは見つかってしまう。
 彼は右の腰に下げている先の丸くて太い棍棒のようなものを引き抜いて構え、衛兵が自分のすぐ後ろまで接近するのを待った。そして何も知らない衛兵が彼の脇に来る寸でのところで身をひるがえし、手にしていた短い棍棒を衛兵の腹に強く打ち付けた。衛兵は痛そうに腹を抱え、そのまま床に倒れて意識を失う。だがバタンと大きな音が響いてしまったため、肝心のターゲットが驚いて部屋から飛び出してきた。男は素早くその場を後にしたはずだったが姿を見られてしまった。
「出たぞ! アサシン(暗殺者)だ! アサシンを捕えろ!」
 貴族の男は叫んだ。男――――アサシンの男は廊下を飛び出して中庭に戻り、木によじ登って屋根へ渡った。その屋根から向かいの建物に飛び移り、敵の死角に当たる向きから建物を降りた。
「あの兵さえいなければ……」
 アサシンの男は建物の壁に向かい合って身を寄せたままつぶやいた。


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