Yukiyanagiな日々

趣味で創作活動しています。野生動物、北方狩猟民大好き。創作活動の報告や、日々思うことを綴ります。

アドラー心理学による人生の見方/過去に縛られない生き方

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なんか私のブログには珍しく「心理学」とか出てて何?! って思われたかもしれません。
しかし全然難しい内容じゃないんです。これは私が最近読み返しているアドラー心理学の本にとても前向きな人生観が書かれているので、一人でも多くの方と共有したい、そして復習も兼ねて書いてみました。今後も不定期で載せていくつもりですので、よろしくお願いします♪

私が読んだ書籍はこれ(画像クリックでAmazonのページへ)


アドラー心理学とは何なのかというと、私が読んだイメージでは「幸福は自分の意志と勇気で手に入れるもの」という内容です。
この本は「哲人(哲学者)」と「青年」の対話形式で書かれています。人生に失望し落ち込んでいる青年と、アドラー心理学を学んで前向きに生きている哲人という登場人物設定ですが、哲人の新しすぎる指摘に青年が戸惑い、反論し、時には罵ります。読者は概ね青年側の発想・立場で読むため、その都度入る「ツッコミ」が、読者に読みやすさを与えてくれます。

さて、前書きはこの辺にしておきます。では本題の「過去に縛られない生き方」とは何でしょうか。


「原因論」に生きるか、「目的論」に生きるか


私たちは大抵、現在の自分の姿はそれまでの人生で経験してきたことが原因だと考えます。たとえば、本書でも触れているように、自宅に引きこもってしまっている人は、その背景に過去の人間関係で傷ついたり、両親から虐待を受けていた、ということが考えられます。その辛い経験が「トラウマ」となり、部屋を出ようとすると激しい動悸や吐き気に襲われ、本人を苦しめていると認識するのが一般的です。これを「原因論」といい、かの有名なフロイトも原因論に基づいてトラウマの説明をしています。
しかしアドラー心理学では発想の順番が逆です。まず結論から述べると「部屋から出たくないから不安という感情を作り出している」とします。これを「目的論」といいます。
なんだかすごく酷な言い方に聞こえるでしょう。本書の青年もこの指摘にブチ切れ、「じゃあ彼が仮病を使っているというのか?!」と抗議します。確かに閉じこもっている本人からすれば感じている恐怖は本物だし、頭痛や吐き気も本当に苦しいものでしょう。しかしそれらも全て、「部屋から出ない」という目的のためにこしらえたものだとアドラー心理学は捉えます。
ではなぜ「部屋から出たくない」のでしょう。本当は出たいはずなのに、なぜその逆の目的を持っているのでしょうか。それは本人にとって、部屋から出ないことが「善=ためになる」ことだからです。此処での「善」には一般的な道徳的意味は含まれません。
部屋から出ないと何が起こるでしょう。彼の家族はとても心配します。つまり、自分に注目し、気遣ってくれ、自分がとても大切にされていると感じられます。一方で外に出てしまうと、自分は誰からも注目もされずかまってもらえず、ただの一人間となってしまう。或いは見劣りした自分だとさえ感じてしまうのです。だからそんな思いをしたくないから、部屋から出ないのです。
彼が引きこもっているのは「辛い過去のせいで出られない」のではなく、「外に出て辛い思いをしたくないから過去にすがって生きている」ということになります。

こう考えるとあることが見えてくると思いませんか? そう、その人生を選択しているのは本人自身だということになります。フロイト的原因論では、現在も未来も、全て過去の境遇と経験によって決定済みであり、自分ではどうしようもないという結論に至ります。(これを決定論といいます。)
原因論に沿って生きれば、毎日びくびくしながら生きなければならないし、今感じている人生の苦悩も、自分では克服できないということになってしまいます。
一方で目的論に沿って生きれば、たとえどんな経験や境遇があったとしてもそれはそれとして、どんなアクションを起こすかどうかは自分次第ということになります。いつだって人生を選択するのは自分なのです。

ここでちょっと私の判断が入りますが、なぜとかく人は原因論に陥ってしまうのでしょう。それは、原因論は「甘えに基づいた考え方」だからだと思います。
「○○が**だったから」「××さえなければ」と考えれば、今起きている良くないことの原因を自分以外の他のものに転嫁できます。自分のせいじゃない、あいつのせいだと、自分が被害者ぶれば周囲も同情してくれるし、すごくドラマチックな感じがします。
一方で、「自分が○○しているのは、**したくないという目的があるから」というのは、はっきり言って自分の認めたくない部分を認める行為です。そして、現在の自分の原因は自分だということになり、一切の甘えが通用しなくなります。


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人はいつだって変われる


「自分を変えたくても変えられない」というのも、この考え方と同じです。「変わりたくないから、変わらない」のです。変わるのが怖いのです。自分が行動や生き方を変えれば何が起こるかわからない、今までどおりの自分なら、たとえ少々の不便があっても何が起こるか大体想像はつくし、対処法もわかる。高性能の車に乗り換えるより、多少ガタがきてても使い慣れた車のほうが良いと思うのと同じです。
たとえば人間関係が苦手で、誰とでも明るく振舞うことが出来ない、そんな自分を変えたいという悩みがあるとします。しかしそう思う人の多くが変われないでいるでしょう。それは、たとえば自分が人に積極的に振舞うようになることで、相手から思わしくない言動を取られ傷つくことを恐れているからです。
また、「○○だったら」「××がなかったら」という可能性に生きている分には、人は変われません。それは自分が変わらないでいることへの言い訳であり、「○○だったら**なれたのに」という可能性を残しておきたいからです。
ですがそう言い続けては何の進歩もありません。いろいろ挑戦してトライ&エラーを繰り返すことで、様々な経験が積め、前に進むことが出来るのです。

さらに、現在の自分の性格、さらには不幸も、自分自身の選択によるものだとアドラーは唱えています。自分が生まれてきた境遇や経験も大いに影響しているでしょうが、それでもその生き方、ライフスタイルを選んだのは自分なのです。(アドラー心理学の見解では10歳前後ぐらいまでだそうです。)
なので自分の性格(ライフスタイル)が無意識であれ自分で選んだものであるなら、選びなおせば良いというのがアドラーの考え方なのです。

しかしそれにはすごく勇気が必要ですよね? 私も書きながらすごく勇気がいることだなぁと感じています。しかし、アドラー心理学とは「勇気の心理学」だと、本書では述べられています。
本書ではその勇気について次に「自由」の議論を展開させています。次回その続きをご紹介したいと思います。



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