Yukiyanagiな日々

趣味で創作活動しています。野生動物、北方狩猟民大好き。創作活動の報告や、日々思うことを綴ります。

「黒天白悪」第3章

        「黒天白悪」ブログタイトル文字4

    罠 

 ある日、ルイス――――本名レオナルドは、大学のレポートに必要な参考文献を探しに図書館に来ていた。理工学関連の書棚へ向かう途中、彼は怪奇小説の置かれた棚の横を通り、一冊の本に目をとめた。
 タイトルは「血と涙」というものだった。表紙には顔色の悪い美男子と、あどけない顔の少女が抱き合ったイラストが描かれている。美男子の唇は、少女の首に接近している。まるで伝説の(・・・)吸血鬼のようだ。
 彼は妙な興味を抱き、本を手に取ってそのまま立ち読みした。
 それは吸血鬼と人間の禁断の恋を描いた悲劇小説だった。
 表紙絵に描かれた顔色の悪い青年は吸血鬼。ある時気づいたら彼は吸血鬼になっていて、何十年生きても老いることなく若いままの姿だという。物語の中では、既に青年は一五〇歳を超えているという設定だった。耐えることのない血への飢えに苦しみ、何人も人を殺してしまっているという。長生きするうちに人間としての感覚が麻痺し、若い女性を見ると「おいしそう」と思えるようになってしまったとか。そんなある日、青年は一人の孤児の少女と出会う。彼女の身の上を気の毒に思い、しばらく面倒を見ていたが、やがて彼は少女に恋をしてしまった。飢えはより一層強まり、しかもほかの人の血をどんなに吸っても心は満たされず、彼は殺人鬼と化してしまうという話だった。
 こんなに一生懸命読んだのに、結局はそういう始末かよ、とレオナルドは失望し、力の抜けた手でゆっくり本を戻した。腕時計を見るとすでに一時間半を超えていた。彼としてはまだ二、三分しかたっていないように感じられた。
「ばかばかしい……」
 彼は思わずぼそりと独り言をこぼした。近くに人がいなかったことが幸いであった。吸血鬼の話を読んだ本物の吸血鬼は、世間がどれほど吸血鬼のことを知らないか実感した。
 彼は人の血を吸って人を殺したことなどないし、その人を吸血鬼にしてしまったこともなかった。また、自分は着実に成長していることも彼は知っていた。友人のアルタシアの容姿の変化とともに、自分の体も変化していることに気づいているからだ。背も確実に伸びていて、大学の健康診断で、ここ三年間で約5センチも伸びた。また、彼は誰からも一度も「顔色が悪い」と言われたことはない。せめて言われたときといえば、徹夜したときや体調を崩した時ぐらいである。
 そうこう考えているうちに、彼は、子どもの頃人々に迫害されたときのことを思い出した。それを必死で忘れようと彼は頭の中でもがいていた。そのため、今日はもう参考文献を探すどころではなくなってしまった。


 図書館を後にして、外の空気を吸うと彼の気持ちは少し治まった。この日は他にいろいろ買い物しなくてはならない日だった。せっかくの休日だからだ。
 貧乏でバイクや車も免許もない彼は自転車にまたがった。しかもそれは中古の自転車で、こぐたびにカタカタと危なっかしい音が響く。
 ホームセンターやスーパーをまわり、買い物を終えた時には彼の自転車にはたくさんの買い物袋がぶら下がっていた。不安定にゆらゆら揺れ、いつ転倒するかもわからないありさまである。
 帰るころにはもう夕方で、仕事を終えた人が行き交っている。自動車も多く通り、信号待ちの交差点では車が数珠つなぎになっていた。
 空は赤紫色に染まり、歴史の面影を残した建物も同系色に染まっている。通りに面した1階部分の店の明かりがぽつぽつと点き、もうすぐ明るい夜がやってくることを知らせているようだった。
 彼は歩道と道路の間の狭い部分を縫うように自転車をこいだ。おんぼろ自転車に買い物袋を多く提げて、カタカタ物音を立てながらゆさゆさ揺れている不安定さに、心配して振り返る人もいた。
 今日は隣町までやってきたので、帰宅するのにかなり時間がかかった。
 アパートに着いたころにはすっかり日は落ちていた。アパートの前を通る人も少ない。
 街灯がぽつぽつと光っているだけで、あとは真っ暗だ。迷信深い人が来たらお化けが出るだろうと思うほど、静まりかえている。
 しかし今日の静けさはいつもと違う。あまりにも静かすぎる。なんか妙だ。彼はそう感じていた。
そのときだった。
「キャ――――!!」
 女性の悲鳴が聞こえた。彼が本能的に声のした方へ駆けていくと、ひとりの三〇代くらいの女性の前に巨大なクマがいた。女性は腰を抜かして大きくのけぞっている。恐怖のあまりに動けなくなっていた。
 クマの体長は2メートルはあり、全身真っ黒だ。突き出た鼻先を小刻みに動かしながら地面のにおいをかぎ、女性にじりじりと寄っていく。おそらく女性が持っている大きなカバンが気になるのだろう。
 レオナルドは鋭い嗅覚で、女性のカバンの中にフィッシュチップス(タラのフライ)が入っていることに気づいた。その匂いにクマは誘われているのだろうと彼は悟った。
 映画やドラマのように、「ウォーッ」と叫びながら襲ってくることはない。しかし腹を空かせた動物が気が荒くなるのは事実だ。この女性を放っておいたら、そのうち致命的なパンチを食らってカバンを取られてしまうだろう。
 まさにそのとき、クマが女性に飛び掛かろうとした寸でのところでレオナルドが間に入った。彼は暴力は好きではないが、女性を助けるために無意識のうちにクマの腹を蹴とばした。クマは五メートル先まで飛ばされ、腹が痛いせいか動きが鈍くなった。
 そんなこのクマの様子を見て彼はしまったというような表情をした。あっけにとられる女性に気づかず、彼はクマに近寄った。
「すまない。強く蹴りすぎたな」
 うずくまるクマの背中に触ろうとしたとき……。
 バンッ!
 クマが鋭い鉤爪で彼をはたいた。彼はその場に倒れた。
「キャ――――!!」
 背後の女性がまた叫んだ。
 彼は頬と左腕に怪我をした。大きなひっかき傷から赤黒い血が染み出ている。
 するとどうしたことだろう。クマは彼の身を案じるように彼に近づいてフンフンとにおいをかいだ。そして、彼の傷口をペロペロと舐めはじめた。
「ありがとう……やっぱり君はいい子だ……っつ!……どうして此処に? 森に食べ物がないわけじゃないだろう?」
 レオナルドの傷はみるみるふさがっていく。しかしこれは、クマが舐めたからではない。
「大丈夫だよ。私は特殊だから、こんな傷ぐらいすぐに治る。心配してくれてありがとう」
 彼は優しくクマの頭を撫でた。
「よいしょ」
 ゆっくり起き上って、クマを導いた。先ほどの自転車のところまで案内し、袋の中から魚のパックを出した。ビニールと剥がし、クマからしてみればあまり大きくない魚の切り身二つ与えた。クマは切り身にがぶりつき、あっという間に平らげてしまった。
「どうして君は此処に? 森から此処までかなり遠いだろう?」
 だが、言葉を持たないクマは無言である。
「あの……、大丈夫ですか……?」
 先ほどの女性が彼のすぐ後ろにいた。
「ええ。大丈夫ですよ」
 あくまで人には冷たい態度の彼は、今クマに見せた表情とは裏腹につっけんどんに交わした。
 一瞬クマから顔を背けていたが、振り返ると既にクマの姿はなかった。
「え?」
 女性の方を向くと女性の姿もなかった。



「失敗しましたね」
 謎の男の傍らにいた人物が言った。先ほど助けられた女性だ。主婦的な格好ではなく、黒いスーツ姿になっている。
「適当にスコットランドから連れてきたクマだったんだが、まさかあいつと知り合いだったとは知らなかったな……くそ……完璧だと思ったのに」
 男の顔に悔しさが表れていた。唇をキュッと噛みしめている。
「あのクマはどうしました?」
「いまはやれ環境保護だの動物愛護だのうるさいから、あの森へ自動送還したよ。――――心配か?」
 男はニヤリとしながら女を見やった。
「いえ……」
 女は顔を伏せた。
「森の空間は干渉不可能なんですか? 室内と同じように」
 男から少し離れたところにいたほかの部下が尋ねた。
「そんなことはない。きっとあの森には強大な魔法がかかってるんだ。おそらく人間のものじゃない」
「『人間のものじゃない』……?」
 部下は首をかしげた。
「魔法を使うのは人間だけじゃないんだ。人間の魔力によく似た力はほかの哺乳動物にもある。そいつが守ってるんだろう。後日調査に行こう」
「はい」
 二人の部下が答えた。
「あんな手でアイツがやられるわけがないんですよ」
 低い声が聞こえ、コツコツという靴音ともに背の高い人影が見えた。
 その言葉に、男は関心を持った。
「ほう、ならもっといい手はあるのかい?」
 暗闇の中でその部下は小さく微笑む。
「アイツにはもっと心理的に痛めつけるようなやり方でなくてはいけません。あんな奴、あっさり死なせても私たちの心の内がすっきりしないでしょう。何のための組織なんですか?」
 男は顎をさすり、にんまりと笑った。
「そうだな。さすがはアルジェントだ。ではその関係のことは君に任せるよ」
「お任せください。もうすでに計画は実行しています。私もわくわくしてるんですよ」


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