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Although the world is full of suffering,
it is full of the overcoming of it.
- Helen Keller

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他人の評価を気にするのは自分の生き方を翻弄させる ※修正版

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【※もともと7月に書いた記事でしたが、言いたいことがきれいにすっきりまとめられていなかったのと、追加で言いたいことが出てきたので、記事を大幅に変更・修正いたしました】

自分が過剰にネット上での承認欲求を求める心理について、ようやく答えが出たようなのでまとめておきます。
同じようなことで悩んでいる人も少なくない気がするので、共有するつもりで載せておきます。

■ 反応がなければダメ人間だと思ってしまう極端な思考


SNSで一度「いいね」をもらってしまうと、次以降「いいね」をもらえないのは恥ずかしいと思ってしまうものです。

私は絵を描いてpixivやTwitterなどによく載せるのですが、自分が自信のない中作品を上げてみて「いいね」が来たから安心した、来ないと自信を失う、という心理に毎回なります。「いいね」がないと、「よくできたと思っているのは私だけじゃないのか、私はそういう客観性のない痛い奴なのか」とまで思ってしまう。

↑でもこの内容、よく読むとすごく卑屈だと思いません? 私が気に入ったから載せた、でいいじゃん。何故承認してもらわないといけないのか。私がありのままでいてはいけないのか。皆と一緒が嫌だと言いながら、皆一緒でなければ怖いと思っているのでは?

「でも、マイノリティ掲げながらいっぱい『いいね』してもらってる人いるじゃん。私もああなりたい」って内心思っている。でもそういう人はある特定の同じマイノリティの人と組んで活動し、知名度を上げている場合が多いんですよね。私は有名になりたいんでしょうか。有名にならないと価値がないなんて、そんなのマジョリティ礼賛以外のなんでもないじゃん。自分でないものを望んでいる行為じゃないんですか。

承認欲求というのは、正直、一時的な快感に過ぎません。次の投稿でも同じように反応が来るとは限らない。前回よりも多いのは嬉しいけど、少ないのはがっかりどころか、絶望です。私なんて、どうせその程度の評価される作品しか作れないのかって。こんなに頑張ったのに。その努力を鼻で笑われた気分にさえなる。

傍から見ると末期症状ですよ。多分もうちょっと健康的な人なら「なんでそこまで卑屈になるの、大丈夫?」って思えますね。でも、SNS上で反応が悪いとそう考えてしまいます。マジです。こんな精神構造でいるんじゃいつまで経っても幸せになれないし、ありのままでいるのが怖くなってしまうでしょう。自分の個性をアピールとか言いながら、実は相手が反応してくれそうな題材を選んでいる自分がいる。今話題のネタを提供するとかそこまで極端なことはしないけど。

■ 自分を見る目と他人を見る目は同じ


でもね、自分に対してそう思うということは、他人に対してもそういう目で見ていることなんですよ。
事実自分がやっていることを振り返ってみるとわかりました。下手そうな絵を見てやっぱり評価が少ないと「やっぱそうだよなwwこいつ自分の実力わかってんのかww痛てえよwww」って思い優越感に浸る。でも、それでも時々自分よりも多い評価をもらってるのがあると「負けた!」って思う。常に自分より残念そうな投稿見つけて、評価数で勝っているか負けているか常に比べている。日常的にそういうことやってる自分がいるんですよ。

■ でも結局「いいね」の本質って何なの?


しかしそのネット上の絶対的評価とされている「いいね」というのは、どの程度意味を持つんでしょうか。「いいね」をする人の心理は何でしょうか。
本心でやるものなら、例えば共感する内容だった、自分が好きな内容だった、親しい友達の投稿だから、というのがあるでしょう。
しかし、実際には他にも「皆が『いいね』してるものだから私も評価すべき投稿だと感じた」という群集心理とか、知り合いの投稿なので「いいね」しないと嫌な目に遭うという本心でないものもあるでしょう。
また、本心で「いいね」したものであっても、そこには「いいね」した人それぞれの価値観があるため、必ずしも「いいね」された投稿内容がクオリティが高いとか、ハイセンスだとか意識高いとは限りません。下手な絵のくせに、保守的で時代遅れな考えのくせに、それがある程度の人の支持が集まる内容なら、「いいね」がそれだけ来るでしょう。

また一方でもらう側の立場として、PixivやTwitterで頻繁に「いいね」をくれる人が、本当に私の作品を理解した上でやっているのか疑わしい場合があります。
Pixivでは、趣味も傾向も全く異なるのに、私の作品に頻繁に「いいね」をくれる人がいます。
でも正直なところ、あまり喜べません。「またお前か」って感覚。その人のアカウントにはお世辞にも上手ともハイセンスとも言えないよくわからない絵がたくさんあるのですが、その出来栄えとは不一致なぐらいにたくさん「いいね」がついています。(別に嫉妬しているわけじゃなくて、素でそう思うってこと)
恐らく、その人が稼いだ「いいね」数というのは、実力ではなく「営業力」だと思います。やたらたくさんフォローして、フォローした人の新着作品を見つけ次第片っ端から「いいね」しまくってるんでしょう。それで(私含めて)「いいね」数を渇望している人からの見返りとして「いいね」をもらっているという……。またもらった人も、自分に好感的な人の作品はよく見えてしまうのかもしれません。
それで良いと思っている人はそれでいいんでしょうが、私はそういう下心が見えた途端幻滅ですね。また、周りの人の「いいね」の数がこういった投稿内容の質とは違ったところからきているのかと思うと、本当の意味での「いいね」って何なんでしょうか。

SNSいいね至上主義者は「いいねされるのにはそれだけの理由がある」と言います。そうです。その通りなんです。でもその理由というのは、今述べた通りです。常にいいねをキープしたいなら、世の中のトレンドを見つけて、SNSでの人付き合いを三度の飯よりも大切にして、皆が気に入るような投稿を常にし続けることです。そこにありのままというのは存在しません。私が私であることは邪魔です。稀にたまたま投稿した内容が反応が良かった、ということもありますが、それは偶然投稿者の内容が見た人の心を掴んだ、に過ぎません。

■ 「いいね」を期待するSNSの使い方は自尊心を失わせる


結局、「いいね」を期待するのは麻薬と同じです。来れば嬉しいし優越感にも浸れて気分は最高ですが、来ないと苦しくて苦しくてしかたがないんです。ぶっちゃけ、「いいね」をもらえばもらうほど自尊心はゴリゴリ削られていきます。
例えば常に「いいね」がゼロの人は「そういうもんだ」と割り切っているでしょう。常に「いいね」が10以上の人は、たまに「いいね」がないとちょっと不安でしょう。そして常に「いいね」が100以上の人は、反応数が半分以下だと絶望的になるでしょう。
もう気にするのはやめませんか。他人と自分の「いいね」数を比較するのはやめましょうよ。(私が)
それに落ち着いてよく考えてみたら、それは他人に翻弄される生き方です。私だけの人生なのに、何故赤の他人で顔も知らない、マジョリティ礼賛の輩に承認してもらわないといけないんですか?

■【結論】今後私はどうしたい?


今後も、SNSは使っていくし作品の投稿とかもしていくと思います。しかし、それは「いいね」をもらうためにやるのではなく、「私はこういう作品を作っています。良かったら見ていってね」ぐらいの感覚でいくつもりです。「いいね」はオマケと思っておきます。SNSは人を狂わせてしまうほど、大きく影響力を持つツールです。だったら、そのツールに翻弄されるのではなくて、いかに賢く上手に、そして建設的な方向へ持っていけるか考えるべきでしょう。