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Although the world is full of suffering,
it is full of the overcoming of it.
- Helen Keller

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Twitterを頻繁に使う人間が信用できなくなった

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散々このブログに書いてきた承認欲求の話じゃありません。もう全体的にTwitterの世界に嫌気が差してきたという話です。リツイートで流れてきた内容で不愉快になったり、ウザいネトゲの広告が飛び込んできたり、些細なことでツイートばかりしている人の素性が心配になってきたり……。
ただ、Twitterは情報発信のツールとしては侮れないものなので、今後は殆ど創作活動の告知用での使用のみになりそうです。

以下に、私が過去7年間Twitterを使用し続け、Twitter多用者を信用できなくなった具体的な理由を挙げていきます。

■ 私生活を全部ツイートしてるって、実際のプライベートどうなってんの?


起きてから寝るまで、自分のしたこと全部ツイートしてる人っているじゃないですか。何をするにも常に片手にスマホ持ってて、自分の一挙一動全部報告してるような感じです。
あの人たちって実際の生活どうなってるんでしょうか。私は趣味の関係上Twitterで繋がっている人にはクリエイター関係の人が少なくないのですが、そういう人で、尚且つ家族もいる人が、Twitter多用者であることも珍しくありません。殆ど女性のようです。
こういう人たちって、プライベートで誰かと会話してても、空返事しながらTwitterやってるような気がするんですよねー。さすがにイベント出展などの営業的なことをしているときは感じ悪いからしないだろうけど、気を遣う必要がない場では誰といようがTwitter優先なような気がします。事実私と同世代かそれ以下の世代では、会話中にスマホを見ている人が多いみたいですよ。
リンク:8割が「気になる」 会話中のスマホいじりの世代ギャップ|日刊ゲンダイDIGITAL
※でもその例のTwitter多用のクリエイターさんたちは、間違いなく30代以上だと思うんですが……。

以前私のブログでも書きましたけれど、Twitterでよく絡んでいく人っていいねやリツイートの頻度も高いんですよ。それはタイムラインというパーティー会場によく出席するから、フォロワーという同席者と顔なじみになり、親しくなって反応もされやすくなるということじゃないでしょうか。だから、自分の人気を失いたくないとか、自分は常に何でもツイートするステータスになってるから、しばらくツイートしてないと何かあったんじゃないかと思われるという心配に駆られてる、とかじゃないかなーと私は想像しています。
でも、ネットでのよく知らない人間関係優先して、自分の現実の生の人間関係を疎かにするような人が、果たして本当に魅力的でしょうか。私は大学卒業後、長らく友達付き合いというのがないのですが、もし誰かと遊びに行ったとき、常にスマホ眺めてて、写真撮影などもSNSに載せる前提でやっていたら絶対嫌ですね。「私と過ごす時間はついでなの?!」って言いたくなります。

■ リツイートの内容の真偽が怪しい&不愉快


Twitter多用者はもちろんリツイートも頻繁に行います。自分のタイムラインに流れてきた、誰かの愚痴やきつい主張のリツイートに共感し、自分でもさらにリツイートして拡散します。そして、私のタイムラインで見たときはもう何千何万ものリツイートがされているものがあったりします。
でも、その内容は過激な主張だったり、嘘か本当かわからない内容だったりします。
例えばあるリツイートでは、濡れた地面にいびつな形で濡れていない箇所がある写真が映っていたのですが、その乾いた箇所は哀れな野良猫が大雨に打たれながら座っていた跡だというのです。そのリツイートは数万にも達していましたが、私はどうも胡散臭いと思ったんですよね。だって、猫の輪郭があまりにもくっきりしてるし、濡れるのが嫌いな猫がどうして雨の中我慢して座り続けるのでしょう。自分にとって都合のいいことに対して目ざとい猫が、そんなことするとは思えません。それにそのリツイートには、実際に猫が雨に打たれながら座り続けている様子の写真がありませんでした。誰かが自作自演で猫の形をした物体を置いて、雨が止んだ後にどかして撮影していた可能性もあります。

また、ある別の数万リツイートされた内容では「彼氏と行くデートで、たくさん歩くだろうと思ってパンプスではなくスニーカーを履いていったら、コンビニに行くんじゃないんだからとすごく文句を言われ、一日中ブーたら靴の件で文句を言われ続けたので腹が立ち、靴屋へ行って彼氏にパンプスを買って履かせ、パンプスで歩くことの大変さを思い知らせてやった」というリベンジ劇がありました。でもそもそもそのリベンジの前に、些細なことでグチャグチャ言うその男があまりにもガキ過ぎませんか。そしてなんでそんな奴と無理やり一日過ごし続けるんだよと、私はそっちにイライラしたのですが、そのツイートに対するリプライには「よくやった」「さすが」「自分も見習いたい」みたいなものばかりで、私と同じような考えを示したリプライは見かけませんでした。こういう内容に全面共感するのもどうかと思う一方で、私はそれが本当に事実なのかなって思いました。どこにも証拠はないわけだし、似たところで見聞きした話を自分でアレンジし、盛っている可能性だってあります。

他にも、「日本ってこういう風潮あるよな、日本オワタ」みたいな主張や「こういう考えはおかしい、気が狂ってる」みたいな主張がダラダラと何ツイートにも渡ってグチャグチャ書いてあるリツイートが飛んでくることがありますが、まあ正直不愉快。共感する内容であっても不愉快。読みさえしなければ無駄なストレスは増えないのに……。しかも真偽の程はわからないんだから、どうせ同じストレス抱えるならニュースや新聞での方がいいよね。

Twitterでは誰がリツイートしたのかわかるようになっていますが、たいがいこういうリツイートを飛ばすのは先ほど述べたTwitter多用者のクリエイターさんが多いです。クリエイターなんだから、自分でよく考えて、思慮深いぐらいでいて当然だと思うのに、「皆が感動したものだからさぞ凄い話に違いない」と群集心理や世間の風潮に簡単に流されている感じなんですよねー。本当、他愛ないなって思います。

■ どんな出来事もスピーディーに消費する風潮


これが実感としてわかるのはTwitterよりもYouTubeの場合なんですが、YouTuberの数年前の動画を見るとコメント欄で「この動画まだ見てる人いる?」とか「まさかこんな古い動画見てる奴いないよな?」といった、まるで「いつまで過去に浸ってんだよ」と冷やかすようなコメントがたくさん見られます。私は気に入った動画は飽きるまで何回も見たい派なので、そのコメントには「大きなお世話だ!」と言いたくなります。(※でもよく考えたら、そういうコメント入れてるお前が見てるじゃん!って話なんですけども)
現実の私生活なら、誰かと過ごした思い出話などを折に触れて思い出して誰かと話して共有したりするものですが、ネット民の感覚では「何もう過ぎたこと話してるの」っていうような感じになっています。ネット上に広がるどんな奇天烈な内容も、一過性のもので、すぐに忘れ去られて当然、というような風潮がある気がします。
リツイートの件で述べた猫とパンプスの話だって、あれが事実ならすごい強烈で印象的な話だと思うのに、リツイートしたフォロワーさんに話を振ってみても「ええ? そんな話あったっけ?」って忘れてると思うんですよ。

そんな、過激なものを要求する割に他愛なく忘れ、思い出を大切にする人を揶揄するような感覚の人間ってどう思いますか。

【おまけ】ブログはまだ多少そういう世界からは解放されてると思う


今回、こうやってブログでTwitterの文句を書き連ねてきましたけど、ブログはSNSほどスピードを要求されない気がします。Twitterのように急いで今を発信しようとしなくても、自分のペースで、日記を綴るような感覚で発信できます。それに対するコメントやその他リアクションするタイミングだってもっと自由です。
自分が撮った写真や感動したことを、誰かと共有したいという思いは古今東西問わず人類には普遍的なものだと思います。そんな中生まれたのがネット社会だと思うのですが、SNS、とりわけTwitter(Instagramもそうかもしれない)はスピードを要求されている感覚です。そして尚且つ反応が多いことが良いことだとあまりにも示しすぎている気がします。千差万別を尊重する社会を目指しているなら、わかりやすさばかりを強調する今の風潮はどうなんでしょうか?


【2018/8/28 追記】
コメント返信をしてから考えたんですが「最初からそんなにネットに疑いを持っているなら何で使ってるの?」って話になりそうですよね。……まあ、その通りです。
理由としてはまず手軽だということ。興味のある情報を手っ取り早く入手できるということ、簡単にさらっと調べられるということです。しかし、真偽の程が怪しい場合はもうちょっと踏み入った努力をするようにはしています。他のサイトを複数見て誰もが同じ事実を示しているのか確認したり、センシティブな内容や時事的な内容の場合はそもそもネットは信用せず、ニュースサイトや新聞、報道番組を活用するようにしています。
また、歴史や生物学のような専門的な知識については、ネットは入り口に過ぎないということが実感としてわかっています。そして、ネットでは堂々と間違ったことが書かれている場合も少なくありません。こういった分野はやはり専門書でしか正しく深い知識は得られないと実感しています。