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Although the world is full of suffering,
it is full of the overcoming of it.
- Helen Keller

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ある極端な思想に対する反論とその理由

最近ちょっとやるべきことになかなか集中できなくなってしまっている。毛皮反対を主張するブログで、中国でのタヌキらしき動物の生々しい生き剥ぎの動画を見てしまったせいだ。(HSPなのでね)
市場に出回っている毛皮のほとんどが、こういった状況で生産されているとか、劣悪な環境で育てられているとか、そういう話がネット上にはわんさか溢れている。「毛皮反対」で検索すると出てくる情報のほとんどはこういった話ばかりだ。

事の発端となった中国だけでなく、人権先進国といわれるフィンランドとかカナダでも劣悪な環境で飼育されている動物の様子を映した映像があって、カナダのミンクファーの業者が動物虐待罪で起訴された事件もあるらしい(これに関しては生き剥ぎはしていないようだった)。こちらはリファレンスもしっかりある情報だったので、ちょっとぞっとしてしまった。
※非常に不快な情報のため、敢えてリンクは貼りません。


ただこれに対して、日本毛皮協会という団体が言うには、生き剥ぎとか劣悪な環境下での飼育など、毛皮業界は普通そんな愚かなことはしないと断言しています。
>> 異論・反論 | 一般社団法人 日本毛皮協会
確かに常識的に考えて、そんなやり方をしたら非効率で危険であるだけでなく、商品価値が下がってしまうことはいうまでもないですよね……。

実はこういった残虐な情報は、ほとんどがアニ●ル★イツとか▲ETAといった過激な思想の団体からによるものなんですよ。
カナダのミンクファー事件のものとされる映像では、狭い檻の中で広範囲にわたる皮膚病にかかっているミンクたちがたくさんいました。でもあれじゃあまず売り物にならんと思う。設備不足で、使えるとこだけ切り取って売ってるのかなぁ……。効率悪くない?
でも、そもそも動物虐待罪で起訴されているなら、それは即ち彼らのやり方が違法だということ。毛皮業界全体がこういうやり方しているのなら、すべて違法ということになるでしょう。なんでその業者だけ通報されたんでしょうかねぇ。

そして、中国の生き剥ぎ動画については、事実ではないということが、海外のメディアからも指摘されています。
>> 5 Reasons Why It’s Ridiculous to Claim Animals are Skinned Alive
こちらのサイトは毛皮産業界から支援を受け、情報を発信しているようです。リンクのページによると、例の中国の動画について、毛皮業界側が動画を拡散する活動家に撮影された場所とフルバージョンの提示をするよう求めたそうですが、活動家側はそれを拒否したとのことです。

日本毛皮協会も、こういった動画は事実でないし、出所を教えてほしいと言っています。
世界中の毛皮業界が生きたまま動物の皮を剥いでいるという根拠のない話が近年の多くの動物権利活動家のキャンペーンの根拠になっています。しかし、彼らが言う多くのことと同様、これは全く事実に反しています。
信頼できる毛皮養殖農家なら動物の皮を生きたまま剥いだりする者はいませんーそれは違法でまったく非人道的であるだけでなく、そんなことをすれば毛皮を傷め、養殖者個人の安全を危険に晒し、時間もかかるので、費用もかさんでしまいます。
これを見せている動物権利団体の配布するビデオは毛皮業界とは何ら関係がありませんので、国際毛皮連盟 のマーク・オーテンCEOは、それらがどこで制作されたかについて、何か証拠があれば送ってくださるよう皆様にお願いしています。
それは承認できない行為です。国際毛皮連盟の養殖農家は動物の福祉については非常に気を遣っており、可能な限り最高の福祉基準に添って運営できるよう全身全霊を尽くしています。
Q&A | 一般社団法人 日本毛皮協会 より)

畜産動物や毛皮動物については、多くの国が動物福祉を最優先事項とし、国や地域の法律を遵守しています。それに大抵の業界は効率性や衛生面を考えてあんな残酷なことはしません。だって動機がないもの。なのに過激な愛護団体は、そういうことを考慮せず自分たちを正当化するために都合のいい残虐な現場を血眼で探す。どんな見方に対してだって、都合のいい情報というのは必死になって探せば見つかる。ただ、それがすなわち真実とは限らないんじゃない?
毛皮の件についてだって、普通に考えておかしくありませんか? どうして食用の動物は屠殺するのに、毛皮用の動物は殺し切らないんですか。食用の動物の皮だって利用するのに。血抜きさえしっかりやればきれいに剥けるでしょ。そして食用動物は病気の蔓延を防ぐために衛生面に気を配っているのに、なんで毛皮動物はないがしろにされるんですか。

毛皮業界が公開している情報では、持続可能で、動物福祉を最優先で考慮していることを紹介しています。
>> Natural fur the Responsible Choice(日本毛皮協会サイト内)

2005年の中国の話を抜きにしても、北欧・北米での事例は、一部の悪質業者によるものでしょう。毛皮養殖は大抵農家がやっているみたいですので、一部ガイドラインに従えていないのもいるのかも。(人権先進国でも殺人事件が無いわけじゃないのと一緒)
先ほども述べましたが、多くの業者が残虐なやり方をしているというのなら、なぜもっと多く摘発されず、現在でもこうやって公然と毛皮取引がされてるんでしょうかね。
それに、例の動画が拡散される以前にも、毛皮業界は縮小傾向にありました。数十年前はセレブは皆高級な毛皮のコートをまとっていたらしいですが、私が物心ついたときからは毛皮をまとったセレブは見たことがありません。あの動画が決定的なものだとは思えませんね。


この記事を書くに当たって、私は何も毛皮に賛成しているわけではありません。ただ、毛皮反対の人たちのよりどころとする情報が、あまりにも現実味がなく、産業当事者を傷つけるものだと判断したためです。

私ね、過激な愛護団体の考えややり方が好きじゃないんですよ。だって彼らは動物に関わる産業を真っ向から全否定するから。毛皮や動物実験だけでなく、狩猟、食肉、動物園や水族館さえ否定する。持続不可能で、感情に基づいている。彼らのサイトを見るともう怒りしかないのがよくわかる。彼らは現実的な代替案を提供しない。独断と偏見で「植物だけ食ってりゃ良い」とか「動物園は3DCGにすればいい」とか言う。本当に彼らの言うとおりに世の中従ったら、世界経済や人々の暮らしは破綻する……。

私は個人的には毛皮には懐疑的ですが、肉食はやめないつもりです。だって、生きるために必要な栄養だから。それに「動物には痛みがあるから残酷」って言うなら、植物食べるのだって残酷になるよ。植物だって、身の危険を察知すると悲鳴に似たSOS信号発するし。でもそう言うと彼らは苦し紛れに「より痛みを激しく感じる動物からやめるべき」って言うんだよ。痛みの度合いをなんであなたたちが決め付けられるんだと言いたいし、その理屈だとじゃあ痛みを感じない生物なら殺してもいいってことにならない?
動物実験だってそう。化粧品のことは知らないが、新薬の開発や生物学の実験にはマウスやラットなどの動物は必須。彼らに頼ることで救える命もあるのに、ネズミ助けて病人死んでも良いと言うの?? また、浄水施設では各家庭に送る水道水の水質を確認する指標として金魚を使っているそうですが、金魚がかわいそうだからと言って家庭に回る水の水質が悪化したことに気づかなくてもいいの??(リンク
そもそもそういう態度は動物の命優先して人間の命を軽視する考え方。誰のための活動なの? 動物たち? 人間よりも? 人間の命顧みない人が、本当の意味で他の命尊重できるのかと思うよ。

参考までに、グロくない食肉加工の事例があります。
>> 牛の解体 〜加古川食肉センターで見学してきました。 | いただきます絵本プロジェクト

また、畜産業界全般でも「アニマルウェルフェア(Animal Welfare)」という考え方が進み、畜産動物を快適に育てる方針が日本を含め世界中で進んでいます。
>> アニマルウェルフェアについて:農林水産省


要するにああいう団体が言いたいのは「動物の命を奪う・利用する=悪」の一点のみ。それを正当化するためには手段を選ばない。一部の例外をまるで全部がそうであるかのように言い、事実関係を無視して部分的なところを都合よく解釈し、拡散している。そしてそれを認識と免疫のない人たちが鵜呑みにし、さらに拡散してしまう。現在ネット上で拡散されている産業動物たちの残酷な話は、こういったところにルーツがあるのでしょう。
学生時代に、学内の動物愛護系のサークルが、こういった情報を鵜呑みにしたような研究発表をしていたことがあったんですよ。当時の私は、まじめなサークルがそう言っているんだから事実なんだろうと思ってしまったのですが、今思えば単に彼らにリテラシーがなかったのだと考えるべきかもしれません……。(※)

動物が人間のために殺され、血が流れたり皮が剥がされている様子を見るのは、慣れている人間でもない限り普通は気分の良くないものです。でも、それを受け入れることで命の尊さや大事にしようという気持ちが育まれていくものでしょう。そんなときに「こんなの間違ってる!動物がかわいそう!」っていう声があると、その胸の痛みをすごく正当化してもらった気がするんですよね。そして自分の感覚を正当化した活動家たちが、ショッキングな映像をさらに見せて「こんなにひどい現場だってあるのよ。こんな産業廃止すべき」って言ってきたら、その活動家たちが、もはやヒーローのように思えてくるでしょう。しかしそこで一歩立ち止まって、彼らの言っていることが本当なのか、全部がそうなのか、そのショッキングな映像や写真はどこから提供されたものなのか、よく考えてみる必要があるのではないでしょうか。


そういえば、2013年に国立科学博物館で「グレートジャーニー 人類の旅」っていう特別展が開催されたことがあって、その展示では世界中の様々な人たちの暮らしを紹介していたんですよ。そこで、展示の内容を詳しく紹介したガイドブックを買ったんですが、極北の民族の紹介ページで、こういうことが書かれていたんです。
私が島(セント・ローレンス島)に滞在中の1997年3月22日、ユーピック・デーという祭りが学校の体育館で行われるというので行ってみた。(中略)その片隅に女性たちが集まっていた。近寄ってみると、ホッキョクグマの皮をなめしていた。昨夜撃ち殺したものだという。小さな子どもたちも、ホッキョクグマの頭がついたままの血だらけの毛皮を怖がらずに平気で触っている。
野生動物の解体シーンを日本人に見せると、「野蛮」「残酷」「気持ち悪い」と顔を背ける人は多い。屠殺、解体は見えないところで行われ、都市ではそのようなシーンを見ることがない。都市の子どもたちは、トレイにきれいに載った肉しか知らず、人間は他の生命を食べなければ生きていけないという、生命に感謝し尊ぶ意識が欠落してしまう。その結果、自らの生命をつなぐ食べ物を平気で残すようになる。大都会での残飯の多さは異常だ。
(探検家・医師・武蔵野美術大学教授 関野吉晴さん談)
また別の本には、こういうことも書かれています。愛護ではありませんが、似たところでしょう。
自然保護なんていうのはまったく責任のない人たちがいうんであってね。食うに困らなくて、勝手にものを食える人は『自然、自然』っていう。実際そこで生活しとる人が、なぜそんなもの、(保護)しなきゃならないのか不思議でならないですよ」(p.146)
<豊かさを背景に、先進国社会に普及した動物愛護観や自然保護観は、狩猟活動を低迷させ、野生動物と自然への人の親しみを増幅させ、結果として、人々の野生動物や自然への警戒心を喪失させ、人々を無防備にする>(p.190)
(渡辺一史(著)並木博夫(写真)「北の無人駅から 第2章タンチョウと私の『ねじれ』」2011年)

過激な愛護思想が広まる背景には、自然や動物に頼らなければ生きていけない状態から開放されてる、っていうのがあるんだろうなと頷けます。
確かに見てみると、ああいうことを言ってる人たちって、皆先進国の人間だし、「外野」なんですよね。当事者じゃない。


【2018年10月12日追記】
※……確か動物愛護系のサークルってまだあったよなあと思って、そのサークルのサイトやこの間の大学祭で展示を見たりしました。しかしあのような動物産業の廃止を訴えるような内容はなく、野良猫や飼い主のいないペットの保護活動をしているみたいでした。毛皮反対をしたサークルと先日見たサークルが同じものだったかどうか定かではありませんが、学内で動物に関するサークルは一つしかないので、同じだと思います。
彼らがああいう極端な話を深刻な問題として大々的に発表したことを反省してやめたのか、それとも自分たちで出来るもっと現実的な活動にシフトチェンジしたのか真意はわかりません。ただ、ああいう感情に訴えるだけのことをしていても、現実的じゃないと思っていることは間違いないでしょうね。