Yukiyanagiな日々

趣味で創作活動しています。野生動物、北方狩猟民大好き。創作活動の報告や、日々思うことを綴ります。

Phantom 第1章

「Phantom」ロゴ
  


    第1章 現代社会

 5月の下旬、東京は初夏を迎えていた。梅雨入りが近いのか天候の優れない日が続き、徐々に蒸し暑くなってきている。
 そんな中、武山絵理奈(たけやまえりな)は、焦るように教室に飛び込んできた。そして、彼女と同世代の女性が多くいる席に座った。
「やばいよ、今日テストだよね?」
 汗だくの上に激しく息切れしながら絵理奈は隣の席にいる友人に話しかけた。隣の女性は頭のてっぺんに狐のような耳が生えている。女性はノートを手にしていた。
「うん、そうだよ。……えりぃ、まずちょっと落ち着きな。大丈夫?」
 女性はやや戸惑っている様子。息切れしながら迫るように聞いた絵理奈に驚いたのだろう。
「はぁ、はぁ……、ごめん。ちょっと急いでたからさ……」
 息を整えながら、絵理奈は苦笑した。
「ねぇ、陽子は今日のに自信ある?」
「えぇ? あるわけないよぅ~。うちだって超ヤバイもん」
 陽子と呼ばれた女性は、大きな狐の耳を後ろに反らし、無邪気に困った顔になってみせる。大人っぽい風貌だが、そんな表情をすると可愛らしい。
「ってかさ、えりぃは余裕じゃない? 頭いいし」
 イヤミなのか本気なのかわからないが、陽子はさっきと変わらぬ口調で言う。絵理奈は顔を大きく横に振った。
「そんなことないよ! あたしも自信ない。じゃあさ、確認しよ?」
「あ、うん。いいよ」
 陽子は容易く了解した。
「えっと、今でいう『トランス型』はかつてなんて呼ばれてたっけ?」
「『獣人』?」
「そう。じゃあ『ツール型』は?」
「『真人間』だよね?」
「あたり! んで、今の呼び方はいつからだっけ?」
「ん……? いつだったかな?」
 陽子が固まった。
「正解は1965年だよ♪」
「あ、そっか!」
 陽子はしまったと言うように額に手を当てた。
 その一方で、絵理奈はノートも開かずに答えている。絵理奈より早く来てノートも広げていた陽子は答えられなかった。陽子は悔しそうに絵理奈を睨むが、その表情はどこか滑稽だ。
「あぁ、ダメだうち。自信なくしたわ」
 開き直ったように絵理奈から視線を外し、教室に取り付けられた机に向かった。
「いやいや、まだ諦めないでよ。陽子真面目だから大丈夫だよ!」
 絵理奈は慌てた。少し大げさに拳を握り、「がんばろ」というようなポーズをとった。
「そう? じゃあなんか他に
聞いてみてよ」
 陽子が顔だけ絵理奈に向けた。
「じゃあ、今の呼ばれ方の由来は?」
「あ! それ自信ある!」
 陽子が得意げな顔になった。
 彼女は説明した。脊椎動物にはどの種にも皆固有の潜在能力が備わっており、それが人間に当たる魔力であると。その魔力を体の変形(transform)に使ったのがトランス型であり、あくまで道具(tool)として使ったのがツール型だという。ついでに言うと、この両者は遺伝学的な差異はなく、同じ人類、つまりホモ・サピエンスであるとか。
「すごいじゃん! ちゃんとやってるじゃん!」
 絵理奈は感心し、陽子の背中を軽く押した。
「へへ、まぁね。ご先祖様のこともあるし」
 彼女は大きな狐の耳の後ろを掻いた。
「そうだよねぇ」
 絵理奈も同感だった。

 武山絵理奈、S大学の工学部に通う大学2年生である。今の話は彼女が専攻する「環境社会工学科」のとある授業の内容だった。
 今の会話にもあったように、現代ではまるで人間が鳥獣化したような姿のトランス型と、一見私たち(筆者たち)と同じような姿だが、優れた魔力を持つツール型は同じ人類とされて平等の社会を送っている。この教室の中にも、普通の姿の人もいれば、獣のような耳が生えたり妙に毛深い人がいたりするが、皆全く気にせず会話しているようだ。こんなことが可能になったのは、戦後社会が変わり、今まで奴隷のような扱いをされてきたトランス型の人々の苦闘があったからであった。それだけでなく、科学の進歩で遺伝子の発見があり、トランス型とツール型にゲノム(全遺伝情報)に何の差異もない、つまり全く同一の人類だと判明したためである。
 絵理奈たちはこの日、別の文系科目も取っていた。その授業中、黒板に「中世ヨーロッパ頃存在していたトランス型の部族」と題して「オオカミ族」「イタチ族」「ヤマネコ族」「フクロウ族」「タカ族」「シャチ族」と書かれており、それぞれの住んでいる地域が書かれていた。たとえば「オオカミ族」は森林の地上部で生活し、「タカ族」はほとんど樹上生活で建築技術が高く、「シャチ族」は海岸沿いと浅瀬で暮らし、特殊な体の構造になっていると書かれていた。
「このように、同じトランス型でも、当時は『系』ごとに違った部族を持ち、生活形態が異なっていることがわかります。しかしツール型の進出によって住む場所を奪われたり、奴隷とされたことによって、彼らはツール型の文明にはめ込まれることが相次ぎました。それによって18世紀あたりから、トランス型の部族形態は崩壊し、部族関係なく『獣人』一括りとして生活が送られるようになったのです」
――――「系」とは、トランス型の人がどのような動物の姿をしているかによって付くカテゴリーである。たとえば、山猫のような姿なら「ヤマネコ系」、狐のような姿なら「キツネ系」となる。ただし、トランス型には草食動物系はいない。それは元来人類(ホモ属)が肉食であり、肉食による脳の発達が促されたためだ。このことも、絵理奈は授業で聞いていた。


 
 テストが無事に終わり、ほっと息をついた昼休み、絵理奈は友人たちと一緒に食事をしていた。
「でもさぁ、気になることない?」
 絵理奈の隣でオムライスを食べていた女性がこう切り出した。彼女もまたトランス型なのか、耳が尖り、頬にウロコのようなものが生えている。
「何が?」
 ツール型の女性が聞く。
「授業でも聞いたし、高校の世界史でも触れたけどさ、トランス型って、二十世紀に入るまでツール型に抗えなかったの?」
「……それを、どうして今また……」
 絵理奈が渋った。せっかく楽しい昼休みなのだから、授業のことなど忘れていたい気持ちだったのだ。うどんをつまんでいた箸が止まる。
「だってさぁ、文明的な差が大きかったじゃない? それで立ち向かえなかったんじゃないの? トランス型はその場の環境に特化するタイプであるのに対して、ツール型は持ってる魔力で多くの地にそこそこ適応する、っていうか制覇するタイプだったし、それでツール型の方が文明が進んだからでしょ? それに、あたしたちトランス型って、人口少ないじゃん。ツール型ほどたくさん子孫残せないみたいだし」
 この時陽子も一緒にいた。先祖への意識が強いからか、こういう話には一際熱くなる。今説明したときも、心のどこかに憤慨のようなものがあるように感じられた。
「そんなものかなぁ……」
 頬にウロコの生えた女性は納得できない様子。このとき、一緒に食事をしていたのは絵理奈と、陽子と、この女性と、もう一人のツール型の女性だった。絵理奈はもう一人のツール型の女性に声をかけようと思ったが、対角線上にいるため話しかけづらかった。
「まぁ、そのうちわかるよ。佳代」
 ウロコの生えた女性にそう言い、絵理奈は内心自分を落ち着かせていた。




 とある大きな研究室で、黒縁眼鏡の男性が、コンピュータに向かっていた。彼の周りには、大学生か院生と思われる若者たちがいて、彼らも同じようにコンピュータに向かっている。
 研究室の中央には、何やら奇妙な大きな黒い装置が置かれている。そこから床を這うように無数のコードが伸びており、そのコード等は皆、起動しているコンピュータとつながっている。
「もうすぐですね」
 黒縁眼鏡の男性はつぶやいた。
 そのとき、誰かが研究室に飛び込んできた。
「白樺君、本気でやるのかい?」
 声をかけられて彼が振り向くと、彼よりもっと年が上でやや膨よかな体系の男性が、なにやらひやひやした様子で立っていた。
「鈴木学部長」
 「白樺君」と呼ばれた黒縁眼鏡の男性は落ち着いていた。
「いくら国の援助や学長の承認があったとしてもやはり危険だよ。しかも他の教諭やここ以外の学生には内密にしてるんだろう?」 
 学部長は困り果てた表情だった。だが白樺の様子は変わらない。むしろより真剣な表情になった。
「えぇ、だからこそやらなければならないんですよ。犠牲になるのは私であるために」
 彼はそう言って前を向いた。
「しかしねぇ、君に何かあったら私に責任が来るんだよ。わかってるのかね?」
 白樺は俯いたまま「すみません」とぼそりと謝った。だがその表情は、深刻そうだった。
「……でも……僕にはどうしてもはっきりさせておきたいことがあるんです。今、この最新の技術で、今まで不可能だったことが可能になれるんです。教師として、研究者として、できることは何でもやっておきたいんです!」
 彼の言葉に力がこもった。
「教授、文学部棟裏からの無線の通信が可能になりました」
 一人の学生が無線を差し出してきた。
「ありがとう」
 彼は無線を受け取り、応答した。
「はい、こちら白樺」
「聞こえます」
 文学部棟裏の雑木林にいる学生が答えた。すく近くに扉の開いたプレハブがある。
「『入口』は開きそうですか?」
「あと2、3分ほどで……」
学生は腕時計を見た。
「設置したプレハブの中で開くはずですよ」
「そうですか。くれぐれも誰も近寄らせないで下さい」
「はい。今のところ人が来る気配はありません」
 確かに此処は木や草が生い茂った薄暗い場所である。近くに坂道を上り下りするための階段があるが、人の気配はない。
「では今から行きますから、そのまま待機していてくださいね」
「了解」
 学生は無線を切った。しかしさっきまでの冷静な表情は崩れ、焦った顔になった。
「とは言っても、オレそろそろトイレがやばい……。少しくらいなら、大丈夫だろうな……」
 彼はプレハブの前を素早く後にした。


 そのころ、絵理奈は荷物を抱えて、文学部棟裏の雑木林に続く階段を下りていた。耳にイヤホーンをさしている。ふと、視界に見慣れぬものが入ったか、彼女は目線をそちらに向けた。向こうにプレハブがあった。
「あれは……?」
 付近に「立ち入り禁止」といったようなものがないので、彼女はイヤホーンを外しながら安易に近寄った。
「……あれ、一体何?」
 プレハブの扉の向こうが光っている。しかしそれは、蛍光灯による光ではなかった。プレハブに入り込むと、光っているのは床の一部だった。七色の光が、揺らめきながら光っていた。
「え? なんなの、これ」
 おまけに、その光っている床から人の声が聞こえる。街中にいるようながやがやとした声だ。
「?」
 彼女は手にしている二つの荷物のうち、一つを床に投げ出した。そして、そっと片足を近づけてみた。すると足がズボッと中に入り込んでしまったではないか。
「え? キャアァァァァァァァァァ!!」
 妙に思って間もなく、彼女はその光っている床に落とし穴のごとく落ちてしまった。






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