Yukiyanagiな日々

趣味で創作活動しています。野生動物、北方狩猟民大好き。創作活動の報告や、日々思うことを綴ります。

Phantom 第8章(前編)

「Phantom」ロゴ8



    第8章 脱走、再出発

「……全然知りませんでした。ティーラさんが、それほどの過去や事情を持って今日まで闘い続けいてたなんて……」
 絵理奈の心は重かった。かつてこの約20年の人生で、ここまで壮絶な人生を送った人物と出会ったことなどあっただろうか。心の中に若干穴が空いたような感覚さえあった。
「いや……。『真人間』のお前が、私のことを聞き入れてくれたことに礼を言う。最初はどうせ私のことなんかまともに聞きやしないだろうと思ったからな」
「ティーラさん……」
 彼女はティーラの顔を見た。初めて彼の顔を見たときとは違い、今はだいぶ落ち着いた表情をしていた。こうしてみると、やはり同じ人類だと感じられた。猛禽類のような顔つきとはいえ、ただの年上の青年にしか見えない。
「もう4年も村には帰っていない。仲間から聞いた話では、私がこんなんだから、もう狼族としての誇りを失ってしまったと思ってる人もいるみたいなんだ……」
 彼はうつむいてこうこぼした。彼の表情はどこか淋しそうだ。
「できればほんの少しでも村の皆の顔を見たい。私のいない間に、村の子どもたちも大きくなってるだろうし、年で亡くなってる人もいるだろうしな……」
 だんだんやりきれなさが湧き上がってきたのか、彼は歯ぎしりした。
「……此処で拘束されてる場合じゃないんだ……!」
 そんな彼を見て、絵理奈は自分の周りの人のことを思った。今のままでは彼と同じ運命にある。今後自分がどうなるかもわからない。そう考えたとき、再び、とてつもない喪失感に近い感情が込み上げてきた。
「……………………」
 そのときである。見回りをしている兵士が二人の閉じ込められている牢屋の前を通りかかった。とっさに、ティーラは鋭い目付きで牙をむき、兵士を睨みつけた。
 兵士は鉄格子の扉の前で立ち止まり、懐から菱形のペンダントを取り出して掲げた。
 するとティーラの表情が変わった。何かはっとしたような顔になり、その兵士に向かって大きく頷いた。
 兵士はゆっくりと静かに扉を開けた。彼は無言でティーラに接近し、ティーラの前に膝を付き彼の耳元に顔を近づけた。
「……――――山猫族の匂いがする。山猫族出身なのか?」
「はい。いつか仲間の誰かが捕らえられてしまうだろうと思って、少し前から、此処の兵士に扮しています」
 ティーラより年下と思われる、二十歳前後のような若者の声だった。
「城の裏の雑木林の中で仲間が待機しています。皆此処の『真人間』と同じ格好ですが、姿が見えれば僕と同じようにペンダントを示します」
 彼女と同世代とは思えないほどの落ち着きようだった。
「ありがとう。助かるよ。山猫族は長時間の地上での起立は大変だろう?」
「ええ。でも慣れましたよ。…………ところで、その女性は?」
 兵士に扮したヤマネコ系(と思われる)の青年が絵理奈を見た。兜の広いつばのため顔が下半分しかわからない。
「いろいろあって、私と同じ運命に苛まれた『真人間』の女だ。特殊な環境から来たみたいで、少しこっちの常識が通じないようだが敵じゃない。我々を『同じ人類』とみなしている変わったやつなんだ」
 ヤマネコ系の兵士は少し信じられないかのようにしばらく黙っていた。しかし、
「あなたが言うなら、嘘じゃないんですね」
と言った。
「あなたのことは、他の派遣隊員から聞いて知っています。疑り深さを武器にしているようなあなたが信じているなら、僕も信じます。――――さぁ、こちらへ」
 兵士は二人を連れて、忍び足で鉄格子の外へ出た。
 そして、もろいレンガ造りの壁の前に案内した。
「実はここに、こっそり脱出口を作っておいたんです。此処を抜けてまっすぐ行けば、雑木林にたどり着けます」
 青年は小声でそう伝えると、二人の手を縛っていた縄をナイフで切った。それから、レンガの一つを少し押して壁にくぼみをつくり、そこに手を入れて右へ押すと、まるで戸のように横に開いたではないか。
「さぁ、急いで!」
「あなたは、どうするんですか?」
 絵理奈は青年のことが心配になった。
「ありがとう。僕はまだここにいます。今後も捕らえられた仲間を逃がすために、僕がいるんですから」
 青年は軽く微笑んだ。ニッと歯を見せると、なるほど鋭く長い犬歯が見えた。
 
 仲間に見送られ、絵理奈とティーラは暗いトンネルを抜けた。
 外はいつの間にか雨だった。日もだいぶ傾き、天候が二人を阻んでいるようだった。
 ティーラは再びフードを被り、マントの裾で絵理奈の頭上を覆った。
 二人は小走りで遠くに見える雑木林に向かう。林に近づいたとき、ツール型の格好をした数人の人たちがいて、一瞬敵が待ち構えているのかと思ったら、あの兵士のごとく首から下げている菱形のペンダントを見せた。
「待ってたよティーラ」
「無事でよかった」
「怪我とかしてない?」
 中には女性も混じっている。ティーラの話にもあったが、この時代のトランス型の女性は、ずいぶんとたくましいんだなあと絵理奈は感心した。
「その『真人間』っぽい女はなんなんだ?」
「今説明してる暇はない。とにかく敵じゃないってことはわかってくれ!」
 ティーラたち一行はそのまま林の中を走り抜ける。この先に彼らの拠点としている洞窟があるという。しかし、皆とても足が速く、運動神経の鈍い絵理奈には大変だった。ティーラと初めて出会った時みたいに、彼に腕を引っ張られたが、前に比べて走る時間が長かった。
「その子を連れたらあたしたちの足でまといになるわ! なんで連れてくのよ!」
 騎士のような格好のスレンダーな女性が絵理奈を軽く睨む。
「こいつも我々と似た境遇にあるんだ。しかも私がいなければ、こいつは右も左もわからない。だからこうするしかないんだ!」
 絵理奈はなんとなく居心地の悪さを感じた。
 ところがもうすぐ林を抜けられるところで、本物のツール型、つまり、敵が現れた。馬にまたがった将校が彼らを見下ろしている。ティーラたちは引き返そうとしたが、いつの間にか後ろも包囲されていた。完全な鎧姿で、街中の兵士のレベルではなさそうだ。
「おいおい、このまま逃げ切れると思ってたのか?」
 敵は槍を向けて立っている。
「ずっと見てたんだからな、そこの女と狼男が脱走して雑木林にいくところを。どうやって脱走したか知らんが。まさか仲間と落ち合うとは思わなかったぜ」
 敵はじりじりと彼らを追い詰める。
「さあ、どうする? このまま再びお縄を頂戴するか、息耐えるまで抵抗するか、二つに一つだ」
 するとティーラが剣を鞘から抜き、目の前の兵に飛びかかった。それに続いてほかの仲間たちも武器を構え、敵に突進していく。何も持っていない上に何も出来ない絵理奈は身をかがめてしゃがむが、周りが激しく動き回るので、避けるばかりだった。だがこのとき、彼女は自分でも驚くぐらいに素早く身を交わしていたのだ。
 しかし、今回は敵の数が多く、だんだんとティーラたちトランス型の勢力が衰えてきた。まだ数の多いツール型の勢力が彼らを追い詰める。
 1本の大木を背後にティーラたちは追い詰められた。このままでは再び牢獄行きだ。もしかしたら処刑されてしまうかもしれない。
「ははは……。無駄な抵抗はもうよせ。どうせお前たちはたかが『獣人』なのさ」
 だが、そう言っていた騎士のすぐ隣にいた歩兵が、突然何かに刺されたように倒れた。
「何?!」
 敵が振り向くと、一人の男が彼らに矢を放っていた。麻製の簡素なローブをまとっている。
「ほう、貴様も『獣人』か? たった一人でこいつらを救えるとでも思ってるのか?」
 矢を放った男はフードの下からニヤリとする。すると木の陰からさらに数人の同じような格好の人物が現れ、矢を構える。
「二手に別れろ! こいつらはこっちに我々の注意を引かせて、あのアサシンの仲間を逃す気なんだ!」
 しかし、総計で見るとツール型の勢力の方が若干数が少ない。半分に別れればどちら側でもツール型の方が数の問題では不利になる。
 作戦ミスをしたと思ったのか、ずっと偉そうなことを言い続けた将校は慌て、「ええぃ! 一旦引き上げだ!」と指示し、ツール型の敵は足早に退散した。その後ろ姿を、謎の援軍たちが矢を放ち、兵士たちが次々と倒れていく。もはや残されたのは将校だけとなり、馬を急がせて姿を消してしまった。
 敵が姿を消すと、ローブをまとった人たちがフードを取り、その正体を明かした。皆トランス型である。ティーラたちのように、同じオオカミ系もいれば、タカ系と思われる人、ヤマネコ系もいた。だが、肝心の中心人物がフードを取らない。彼はそのまま背を向けて林の中に姿を消そうとした。
「あ、待て!」
 ずっと絵理奈の傍らにいたティーラが呼び止めようとするが、ローブの男は振り向かずにどんどん行ってしまう。そして二人とも、林の中に姿を消してしまった。




 ティーラは先ほどからずっと呼び続け、追いかけるが、ローブの人物は決して立ち止まらなかった。やっと止まってくれたのは、林のかなり深いところに来てからだった。
「はぁ……はぁ……待て! ……何故姿を消すんだ! 仲間だろ! どうしてこんな真似を……するんだ……!」
 激しく息が切れて、訊くのが精一杯だった。
「………………。仲間? ふん、君にはいつオレが仲間に見えた?」
「え……?」
 その声には聞き覚えがあった。
「お前は……?」
 男は被っていたフードを取って振り向いた。
「……フェデリコ」
 だいぶ髭が伸びているが、それは紛れもなくフェデリコだったのだ。
「……君はずっとオレを憎んでいたくせに。皆がオレを受け入れてくれるようになっても、君だけはいっつも眉間にしわ寄せてオレを睨んでたじゃないか。あのときだって、オレは本当になんで連中がオレがいること知ってたのかわからなかったのに、あんたはあくまでオレが何か企んでるかのように思い込んで、胸ぐらまでつかんだ。あんたのせいで、オレは立場を失ったんだぞ!」
 フェデリコの顔は真剣だった。真剣であると同時に、そこには悲しみが浮かんでいた。
 その様子に、ティーラも少し申し訳ない気持ちにならなくもなかったが、納得はしなかった。
「勝手なことを言うなよ。お前はかつて私たちの敵だったじゃないか。受け入れてもらえただけ運が良かったと思えよ。私がお前にとっていた態度の方が普通じゃないか。自分の立場を考えて言えよ。お前があの件について本当に知らなかったとしても、疑われたっておかしくないんだ!」
 フェデリコはティーラに向き直った。
「……じゃあひとつ聞くけどな、オレが本来味方であるはずの『真人間』たちに向かって矢を射たことを、あんたはどう思ってたんだよ? オレがそんなに質の悪いこうもりに見えたのか?」
「………………」
 ティーラは当時はそう思っていた。しかし、今目の前にいる「真人間」の表情は真剣そのものだ。こうなると単に自分が無理やりにでも彼を疑っていたと認めざるを得ない。
「オレは今までの自分に猛省しているんだ。オレたち『真人間』の『獣人』への思い込みは全部空想だって。知れば知るほど、『獣人』たちは賢明で、たくましかった。森と共に生きる生活がいかに豊かで、平和的かオレは身をもって感じている。だからもう『真人間』の世界には戻れなくなった。君の仲間が受け入れてくれたのも、オレのそういうところがわかったからじゃないのか? 『獣人』の生き方って、刻々と変化する自然に対応したものだろ? なら君だってオレの変化に気づいたっていいはずなんだ!」
「生意気なこと言うな!」
 ティーラは耐え切れなくなったのか、怒鳴ってしまった。
「森の自然に対応することと、お前を受け入れることは同じじゃない! おれたちがどれほど理不尽な目に遭わされ、おれがこんな殺し屋にならざるを得なかったのかお前にはわかるのか! そんな憎い敵を目の前に、ちっとやそっとのことで笑顔になれるとでも思ってたのか?! 皆が皆お前を受け入れたわけじゃないぞ!」
 激しく怒鳴ったため、息が切れる。そんな彼に、フェデリコは冷めた目で背を向けた。
「もういい。今のオレは君に受け入れられようとは思わない。ただ『獣人』の陰の味方として戦うまでさ。君が呼び止めなければ、オレはこのまま次の作戦に移るつもりだった。君がオレの後をつけて、『仲間だろ』って言ったから言い返してやったまでだよ」
 そう言って、彼は再びフードを被って、すっかり暗くなった林の闇に消えていった。



 なんとか敵を倒した、追い払った派遣隊員たちは、崖の下の洞窟の奥に身を潜めた。焚き火の周りで、ある人は話をしたり、ある人は武器の手入れをしたり、ある人は焚き火を見ながらぼんやりしていた。
 ぼんやりしていた人の一人が、絵理奈だった。実のところ、早くティーラに来て欲しかった。というのも派遣隊員たちがちらちらと彼女を見るためだ。それも、不審そうな目で。
 特に感じ悪いことをされたわけではないが、彼らがひそひそ話をしているたびに、自分のことを話してるような気がして居心地が悪かったのだ。
 洞窟の外では激しい雨音とともに雷がゴロゴロと鳴るのが聞こえる。まだ彼は帰ってこない。ひょっとすると、別のどこかで雨宿りでもしているのだろうか。
 だがそうこう考えているうちに、ティーラがずぶ濡れになって帰ってきた。
「ティーラ!」
 仲間が心配したように彼に駆け寄った。
「心配したのよ、こんな嵐なのに帰ってこないから」
「あぁ、すまない」
「一体何してたんだ?」
「あいつに会ったんだ。フェデリコに」
 フェデリコ――――そうだ、確かティーラの妹に救助されて仲間になったツール型の弓兵だったと、絵理奈は思い出した。
「彼を追いかけて、林の奥で引き止めたから、すっかり迷ってしまったんだ。道という道がないから、手探りだった」
「ふぅん。それでこうなったと」
「彼はここの地理には詳しいのか?」
「詳しいもなにも、あの城は『獣人討伐団』の本部なんだぜ」
「え?!」
 彼がひどく仰天した。
「獣人討伐団」? あ、まさか、ティーラが捕らえられる直前小耳に挟んだ「討伐団」というのが、これのことなのか、と絵理奈は聞いて思った。なるほどあの婦人たちが「悪魔たち」という言葉を出していたのもうなずける気がする。
「おいおい、アサシンなのに知らないのか?」
 仲間の一人が呆れ返っている。
「本部がフランスのどこかにあるとは聞いていた。だが、具体的な場所は誰からも聞いてないぞ。派遣隊員は基本持ち場からそんな離れることはないだろう? だから私が現地にいかなければわからないことだってあるんだ」
 と言ったとき、彼が大きくくしゃみした。
「と、とにかくまぁ脱いで暖まれよ。毛布もあるからさ」
 タカ系の男性がティーラのびしょ濡れのローブを脱がせ、大きな翼を広げて彼を包み込み、胸当てや肩当てといった防具を取り外すのを手伝った。他にも、脇の下にナイフを忍ばせてあるし、背中にはクロスボウ、腰には剣だけでなく、話に聞いた棍棒、多分矢が入っていると思われる細長い袋など、ありとあらゆるものが取り外された。
 最後に上着を脱ぐと、上半身は黒い服一枚だけとなった。貸してもらった毛布を羽織って完了のようだ。
「あいつ……フェデリコのこと、皆は知ってるのか?」
 すると、先ほどから武器の手入れをしていた何系ともわからない耳の尖ったくしゃくしゃ頭の男性が答えた。
「知ってる。彼が現れたのは、今から四年前のことだ」
 四年前と聞いて、ティーラの耳がぴくりと動いた。
「わたしら派遣隊員は定期的に集会を行うんだが、その時あの『真人間』が数人の狼族と共に現れたんだ。最初はどういうことだかさっぱりわからなくて、あの狼族がわたしたちを裏切ったのか、あるいはあの『真人間』が捕虜とされたのかと思った」
 しかし、フェデリコの自発的な意思表示によって彼らは説得されたという。「オレはこの部族の人たちに救われて、ともに暮らして、考え方が変わったんだ。オレは今の『真人間』の行いを正しいとは思わない。むしろ間違ってると感じている」と声高に叫んだのだとか。
 その彼の真剣な眼差しや声の調子で、嘘ではないと感じたそうだ。
「もちろんすぐに同じ仲間として受け入れたわけじゃないけどな。最初は雑用とか簡単な事務のようなことをさせて、様子を見ようと思った。すると彼は、すべての用事を申し分がないくらいに完璧に成し遂げたんだ」
 それから段階的に彼の立場を昇格させていって、現在は諜報活動を主な任務とさせているのだそうだ。
 それを聞いてティーラの顔が陰った。
「どうした?」
 話をしたくせ毛の男性が気になったようだ。
「いや……私は、やはり彼を憎みすぎたのかなって」
「んん?」
「私は一度敵だと思うと、それ以上の認識ができないみたいなんだ。彼がかつて私たちを攻撃し、調和を乱す悪しき存在であったという事実にこだわって、彼が改心したとしても、そんなこと信じられなかったんだ。つまり、『人は変わる』ってことをわかっていなかったのかもしれない」
 そう話した途端、彼に深い悲しみの表情が浮かんだ。
「……もし……もしこれが誰にでも起こることだとすれば、私がしてきたこととは……なんだったんだ……」
「どうして……?」
 別の派遣隊員が聞く。
「私の役割は『陰で活動を牛耳っている者を暗殺する』ことだ。だが、もし、そんなあの連中でさえ、機会があったら改心する可能性を持っているのだとすれば、血でもって成敗するのは間違っているような気がしてきたんだ……」
 あぐらをかいた足の上に載せている毛深い手に力がこもる。
 彼らの様子をずっと無言で聞いていた絵理奈。500年前のトランス型の人たちの、これほどの苦労や苦闘など今まで聞いたことがなかった。学校や教科書はもっとさらっと簡単にしか伝えていない。そんなことを思っていると、あの鎧を身にまとっていたスレンダーな女性が聞いた。
「ならティーラ、どうしてあの『真人間』の女の子は受け入れてあげられたの? あんたなら『真人間』と知れば本能的に憎む性質なのに」
「……彼女は逆だからだ」
 ティーラはうつむいた顔を少し上げ、絵理奈を軽く見つめながら言った。
「出会ったときは、彼女は私が『獣人』である以前に何者だかわからなかった。ただ、顔を隠して武器を持っていることでずいぶんと警戒したみたいなんだ。しかしいろいろ関わりを持つうちに私を恐れなくなって、私に信頼を寄せるようにまでなった。そして、私がアサシンだと知っても、まして『獣人』だと知っても、態度を変えなかった。そして、意外なことを口にしたから、この子のことは嘘じゃないなと思ったんだよ」
 日本語の問題だろうか、さっき「こいつ」と呼んでいたのが「この子」に変わっている。
「『意外なこと』って?」
「私の『真人間』への復讐という行為が、進んだ時代の一つじゃないかというんだ。私が何百年何千年経っても変わらない対立なんだと言ったことに対してな」
 すると全員が絵理奈の顔を見た。半信半疑な者もいれば、驚いたような顔をする者もいる。
「あんたは特殊な文化圏の出身なのか?」
 タカ系の男性が絵理奈に尋ねた。
「…………えと」
 ダイレクトに「21世紀の日本から」というわけにもいかないなと悩んでいると、
「『21世紀のニホン』から来たらしい」
 とティーラがそのまんま言ってしまった。
「え……?」
 仲間のほぼ全員が耳を疑ったようだ。言うまでもない。
「私もよくわからないんだが、彼女はいわゆる未来人で、500年後の遠い東方の地から突如としてやってきたらしい。この子が言うには、500年後の世界では『真人間』も『獣人』も平等に生きているらしいんだ。信じられないだろう」
「うそだろ、あり得ないよ」
 皆口々にそう言った。絵理奈にとっては、なにもここまで言わなくてもいいのにと思った。そう考えると、ティーラは同志の間では割と何でも話すのだなと感じられた。
「もしかして、それって僕たちの努力の結果?」
 一人が冗談だか本気だかわからないようなことを聞いてきた。顔にやや期待のまなざしが浮かんでいる。
「……それはわかんないです」
 絵理奈は相手の顔をじっと見つめながらも、自信なさげに答えた。
「こら、期待はとっとくもんだよ」
「でもな、そう思うと、僕らの未来ってやっぱ決まってるのか?」
 質問した青年が落胆した。その発言に絵理奈もドキッとした。もし自分が本当に過去にタイムスリップしている状態だとすれば、彼女の生きる現代社会にもさらに未来の人物がやって来る可能性があるし、自分も今度は未来へ行って自分の将来を知ろうと思えば知ることができる。そうなるとどこかで聞いた「未来は自分で切り開く」とか「自分をどうするかは自分次第」という話は嘘だということになってしまう。みな、決まった次元のレールに沿って生きていることになってしまうのではないか。そんなふうに考えたとき、彼女にかつてないほどの恐怖が襲い掛かった。
 そのときだった。
 ピロピロピロ、ピロピロピロ……。
 聞き覚えのある甲高い電子音が鳴り響いた。
「なんだなんだ? どこから鳴ってる?!」
 周囲がざわめいた。絵理奈はまさかと思い、懐にしまっていたスマートフォンを出した。なんと、ずっと圏外だったスマホが鳴っているではないか! 画面には見慣れぬ番号が表示されていた。
「おい! なんだそれは!」
「あれが500年後の次元の道具なんだとさ」
 ティーラが代弁した。
「すいません、ちょっと失礼します!」 
 まさか目の前で応答するわけにはいかない。そう思って絵理奈は彼らから少し離れて洞窟の入り口付近にやってきた。まだ嵐はおさまらないようだ。
「……もしもし?」
「あ! つながりましたね! 武山絵理奈さんですよね?」
 電話の向こうからはしゃいだ声が聞こえた。
「…………どなたですか?」
 いくらか抑えた声で尋ねる。
「あぁ、すみません。私白樺と申します」
「……はい?」
 名前を聞いても誰だかわからない。
「あ、すみませんでした! 私、S大学の考古学を専攻する文学部の教員です。はじめまして」
「ど……どうも」
 何が何だかさっぱり状況がつかめない。彼女はしどろもどろに応答することしかできなかった。
「びっくりしてますよね。そんな電気なんて一切存在しない世界でいきなり電話が鳴って、尚且つ見知らぬおじさんにフルネームで呼ばれちゃってって感じですよねぇ」
 気持ちを汲んでもらった気がして彼女は少し落ち着くことができた。
「あの、これはいったいどういうことなんですか?」
 小声ながらも真剣な声で訊いた。
「あなたは私の研究グループがつくりだした『過去をよみがえらせた次元』に落ちてしまったんです。ようやく、あなたという人物がその世界に落ちてしまったことがわかったんですよ」
 彼女にはさっぱりわからない。
「………………? どういうことですか?」
「あなたも分かるように、そこは16世紀のフランスという時代をシミュレートして再現させた世界なんです。今から現実の世界に戻れるように指示しますので、よく聞いてください」
「はい……?」
「あなたのいる世界は、現実のものではありません。あくまで再現したものです」
「でも……」
「どうしたんですか、せっかく帰還できる準備が整ってるんですよ」
 教授の声がやや焦っている。
「待ってください。今一緒に過ごしてる人たちがいたんですよ」
 絵理奈はちらりと背後を見た。何人かが絵理奈を見ている。その中にティーラも含まれていた。
「急いでください。15分以内でしか通信できません。通信が途絶えるとまたつながるかどうかわかりませんよ!」
 教授の言葉が絵理奈を急かす。
「そう言われても……ちょっと待ってもらえますか」
 彼女はそう言って、スマホを抱えたままティーラたちのもとへ戻った。
「あの……すみません」
「どうした?」
 全員に目線を向けるはずが、無意識の内にティーラに集中していた。
「あの、今、『21世紀』から連絡が来て、今なら戻れると聞いたんですけど……」
 こんなSFみたいな発言を大真面目に言っている自分が今更ながら信じられなかった。
 彼らは一瞬沈黙した。
「……そうか。ついに帰るのか」
 そう言ったのはティーラである。驚いた様子ではなく、むしろ納得したような落ち着いた口調だった。
「はい。あまり時間がないみたいなので、帰るならもうすぐにここを発たなければならないんです」
 絵理奈は戻れるという喜びの傍ら、今までずっと一緒に過ごしていたティーラを目の前に後ろ髪を引かれる思いがした。
「本当に、今までお世話になりました!」
 彼女は両手を前で揃えて丁寧に深くお辞儀をした。
 するとティーラが向き直って絵理奈の左腕をポンポンと軽く叩いた。
「私も世話になった。いろいろ手荒な真似をしてすまなかったな」
「いえいえ! とんでもないです!」
 彼女はギョッとして首を振った。それを見て彼は軽く笑った。初めて見るティーラの笑顔である。
「向こうに戻っても、私たちの事実は決して忘れるな」
 笑顔を見せたあとで、再び彼が真剣な表情になった。
「はい、わかってます。――――それでは」
 彼女は皆を背にして再び洞窟の入口付近に来た。
「帰る心構えはできました」
 電話越しに教授に伝える。
「了解です。今から、黒い渦のようなものが出てきますから、そこを素早く通り抜けてください。いいですね?」
「『黒い渦』……。わかりました」
 そう言ってまもなく、彼女の前に彼女と同じ背丈ほどの縦長の真っ黒な渦が現れた。一瞬暗黒の世界へ引き込まれてしまいそうな気がする不気味な姿である。そこを絵理奈が身をかがめてさっと入り込むと、なんと不思議なことに、懐かしい現代的なとある部屋の中にいた。






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