Welcome to my blog

Although the world is full of suffering,
it is full of the overcoming of it.
- Helen Keller

23

何度だって言う、「自己満足」で何が悪い

よく、絵を描いてる人から出てくるのが「所詮自己満足」「独りよがりじゃダメ」「もっと精進しなきゃ」って言葉。
まるで自分の好きで表現していることが悪いことみたいに言う人が多い。
私も学生時代創作サークルのメンバーから散々言われた。あと父親にも。自分が一生懸命表現したのに、自分の思いを託しているのに「自己満足じゃダメだよ」って言葉で全否定。なんだかものすごく罪なことをしているような気分にさえなった。

でも、そう言う彼らの言葉は100%正しいんだろうか。彼らの言葉はもしかしたらあなたがあなたらしくあろうとすることを真っ向から否定するものなのかもしれない。
このことは何度も何度も書いてきたことだけれど、何度だって書いてやる。いまだにこういった言葉で不必要に苦しんでいる同志がいるだろうから。一生懸命描いたのにネットで評価されなくて、追い討ちをかけるように「自己満足じゃダメっしょ」って言葉で苦しまくていいように。

ちなみに私は、もうそういう感覚からは7割ぐらい開放されてる。ちょっと離れて考えられるようになった今こそ、改めて書けることがあるかなと思う。

その言葉は、誰のためのもの??

そもそも、そのやたら悪く言われる「自己満足」とはなんだろう。文字通り自分が満足することなんだが、それはそんなにも悪いことなんだろうか?
商売だったら、儲かるために客の好みを意識しなければいけないかもしれない。でも私の周りにいる人たちは皆趣味でやっている。ビジネスというしがらみから開放されているはずだ。なのに彼らは、口を揃えてそういうことを言う。

日本は昔から、なんの分野であれ厳しい鍛錬と精進を大事にするお国柄だ。剣道、柔道、華道……。なんでも「道」とつくように、一つ分野をストイックに極めることが美徳とされる。だから趣味であるはずのお絵かきだって、手厳しい評価を受け、それを真摯に受け止めて向上すべきだという意識になっているのだろうと思う。

確かに「もっと絵が上手になりたい」「あの人みたいに素敵な絵が描けるようになりたい」という向上心は別にいいと思う。私だって常に抱いている。
でも、自分で感じた通りの色を使っていて、自分で感じた通りのアングルやタッチで描いていて、それが自分でも納得しているものなのに、他人から「いやいや、それは変でしょ」「自己満足じゃん」って言われたら腹が立たないか?

そういうことを言う人たちは、人に作品を見せる前提でいるなら、趣味であっても人に気に入られるものを作るべきだと言い張る。人に見せる以上見る人の気持ちを考え優先すべきだと、それが正義だと思っているのだ。あなたたちが勝手に思っている分には別にいいけれど、そう思わない人間にまで押し付けるのはどうなんだ。

例えば以前もこのブログで書いたことだが、軽い気持ちで描いた物がネットで評価100もらったとして、一生懸命描いた作品が評価10だったとする。(経験則)
「自己満足じゃダメ」という言葉を鵜呑みにしたら、評価10の本気の作品より、評価100の適当な作品の方が価値が高いということになる。商業主義と何も変わらないじゃないか。卑屈すぎません??

ネットの評価は絶対なのか?

「自己満足はダメ」信奉者が絶対的評価基準とする「ネットでの反応」についてだが、あれらがそんなに重要なんだろうか。ネットの「いいね」を押す人たちからしてみれば、その理由は個人の好みだったり、トレンドに乗っかりたいという思いだったり、ネットでのコネが関係してたり、「みんな評価してるから優れてると思った」というものだったりすることが大半だろう。
評価されない場合も同様。「みんなが『いいね』してないから、自分だけ押すとダサいと思われるかもしれない」と思って評価しなかったり、「不人気だから素敵じゃないんだ」と、無意識に他の人の評価に判断を委ねている場合も少なくない。

ネットで云千、云万評価されてる人たちが、自分の心から湧き出る思いを表現してるとは私は思わない。むしろネットのみんなの期待に応えようとしているように見える。なぜなら、人気の作品は大体みんな同じような色使い、題材になっているからだ。そしてそんな人気者たちも、人気を維持するため表現活動以外にもSNSでのやりとりや発信に事欠かない。もはや表現活動は二の次になっている。

そんな表現の本質を理解する気のないネット民に自分の表現の価値を託し、理解されないと「自己満足な自分はいけない……」と嘆くのはなさけないか??そんな生き方を正解とし、他人にも押し付けようとするのかい?

芸術に優劣をつけること自体無意味ではないか?

このことを強く意識するようになったのが、20年以上前のNHKの脳科学の番組の動画を見た時。脳の半分が機能しない青年が、人の目や評価といった気負いをせずにのびのびと絵を描いている様子が映っていた。ナレーションでも、そういうものから開放されているから彼の脳で感じていることがそのまま表れていると言っていた。

でも、芸術の本質って、本来そういうことじゃないだろうか? 表現者が感じたことや思ったことを形にしたものが芸術であって、そこには個性の違いがあっても優劣は存在しないはずだ。なのに、コンクールで入賞できなかった、一生懸命描いたのに馬鹿にされた、等といった他人からの評価に翻弄され、自信を失っている人のなんと多いことか。昨今のSNSは「いいね」の数でその人の人気度が一目でわかるようになっているので、他人と自分を容易に比較されてしまい、自分らしさを否定され、傷つく人間がとても増えている。かけがえのない個人であるはずなのに、その個人が赤の他人からの一方的な尺度で評価・判断されているのだ。

そんなとき、「自己満足ではダメだ」という言葉は、とても強く残酷な刃として自信を失っている人間の心に突き刺さる。本来自由でいいはずの個性を二重で否定されるのだ。その言葉を発してる人間には相手に対する敬意などない。自分が多くの人に認められており、自分のやっていることが正義だと信じて疑わないのだ。だから結局のところ、そういう「自己満足はダメだ」とか無神経なことを言う人間は、一見成功していないように見える人間を見下し、アドバイスと称したマウント行為をしているにすぎないのだ。

それでもネットに作品を投稿し続けるのはなぜか

私のブログを何度か読んでくれている人の中には「あーもうわかったよ。そんなに信用してないならなんでネットに上げんの?」って思う人もいるだろう。
それは、「一人でも多くの人に私の作品の魅力を感じて欲しい」と思うから。

インターネットが誕生してもしなくても、人は何か作品を生み出したら誰かに見せて共感を得たいと思うもの。昔は仲間内に見せるか展覧会に出すかしかなかった。でも今は、インターネットというツールを使って、特別選ばれたりしなくても全世界の人たちに自分の作品を見せることができる。ネットの世界が信用できなくても、私の作品を知ってもらう手っ取り早い手段であることには変わりはない。それが今、SNS開発者たちの巧妙なマーケティング戦略に翻弄され、多くの人が承認欲求の塊になってしまっているだけ。

今まで言ってこなかったけれど、私は自分の作品が大好きなんだ。自分の作品は世界一だと思っている。だからそんな価値あるものを、人目を気にして出さないのはもったいないと思っている。どんなに辛い思いをしても投稿し続けるのは、根底にそういう思いがあるから。私の作品の魅力を、一人でも多くの人にわかってもらいたい、だから投稿し続ける。

日本社会には卑屈な人が多いから、「自分が世界一」って言うと、「うぬぼれてやがるwwww」とか「証明してみせろよwwww」って言われるんじゃないかと思って言えなかった。でも、他人がどう思うとか関係ない。私が自分の表現したいものを表現できたから「私にとって」の世界一。それを他の人とも共有したい。同じように「好き」って言ってくれる人がいたらもっと嬉しい。そういう気持ちがあるんだ。他人の顔色を意識しておもねた途端、私の作品は「世界一」でなくなる。