Welcome to my blog

Although the world is full of suffering,
it is full of the overcoming of it.
- Helen Keller

05

動物愛護系、アンチ肉食派に嫌悪感しか抱けない理由

昨晩の「国際報道2020」で、フランスでアグリバッシングが盛んになっているというニュースを見ました。畜産農家や農薬を使う農家を悪とみなし、脅迫や放火といった事件があとを立たず、フランスだけで1600件を超えているそうです。

フランスでは近年若い人を中心に肉食へのネガティブなイメージが進んでおり、ヴィーガン食の普及が急速に進んでいるのだとか。

その少し前にも、私はTwitter上で「動物愛護系」ヴィーガンの人のツイートを目にしました。その人はショッキングな動画をばらまいたりとかそういうことはあまりしていなくて、比較的穏やかに行動してる人ではあるんですが「肉食=野蛮な行為」という考えでいることは間違いなさそうです。

私が「動物愛護系」とわざわざつけているのは、ヴィーガンにもいろいろ理由や事情があり、ヴィーガン自体を嫌悪してるわけではないからです。宗教上の理由とか、健康とか美味しいとか、大規模な畜産業が地球環境への大きな負担になっているといった理由ならわかるし同意できます。
でも「肉食するなんて野蛮」という意識でやってる人のことは、もうこれは単なる感情論にしか感じられないので同意できないんです。

■ 問題をすり替えないで

確かに、畜産農家にモラルが足りず、生産性を優先して動物を物同然に扱う業者はいるかもしれません。ニュースではフォアグラの生産現場の映像が映され、確かにそういうものを目にすれば動物が可哀想だと思え、食べる気が失せるのはわかります。

でも問題なのはその飼育方法であって、それがすなわち肉食が悪いことだというのは話が飛躍しすぎています。問題はどうやって畜産農家を啓蒙し、環境に低負担で家畜にも過ごしやすい飼育をできるかどうかであり、それらをなくすべきということではありませんよね。

もちろん、もう肉食自体したくないというのならそれは個人の勝手です。ただそれを他人に押し付けるとか、誰かを傷つけたりする行為は絶対間違っています。どんな理由があろうと個人の選択や生命、財産を奪うことは許される行為ではありません。

■ 詰まるところ理屈じゃない

っていうと「動物にも生きる権利があるんだ!」という反発が来るのは想像に難くありません。
そう言うなら、あなた方(アンチ肉食派)は人間よりも動物の命を優先するのですか? 植物も同じ命ですが痛みを動物ほど感じないなら良いんですか? 命を差別してるとあなた方は非難しますけど、差別してるのはどっちなんでしょう? 肉食動物の摂食行動についてはどういう考えなのでしょうか?? 人間だけ否定するなんておかしくないですか??

また「肉食を昔からやってきたというのなら、昔から人類は戦争をしたりレイプしたりしてきた、それと同じだよ」と、ある海外の「動物愛護系」ヴィーガン、すなわちアンチ肉食派はそう言っています。動物は人間の食べ物じゃないと言い張る団体もいます。彼らがそうやって「肉食は悪だ」と決めつけているのなら、もはやそれは理屈ではなく信念というかカルトと同じだと思うんですよね。

■ その結果ややこしいことになる

そして、そういう人たちほど畜産業の問題に敏感に反応し、過激に拡散するので、改善すべき問題に冷静に対処するというより、アンチ肉食派を喜ばせ、肉食根絶論が先走ってしまう事態になってるんですよね。

またネット上に拡散されているショッキングな映像や写真には、出元が不明なものも少なくありません。例えば毛皮反対派がよく持ち出す「動物を生きたまま毛皮を剥ぐ」という映像。あれは出所が不明な怪しい動画だと毛皮業界から度々指摘されています。それに普通に考えて、危険で不衛生かつ品質が落ちますよね。そういう冷静な判断はできないのでしょうか。そもそもそういうことを深く詰めて考えること自体不愉快ですか?

アンチ肉食派が畜産業の「悲惨な現実」をTwitter上に拡散することに対して、実際の酪農家が「いつどこで撮られたものか教えて欲しい」と真摯な態度で向き合うと、無視を決め込んでブロックすることも多いようです。冒頭で私が見かけた「動物愛護系」ヴィーガンも、畜産農家に間違いを指摘されてその畜産農家のアカウントをブロックしたそうです。
結局八つ当たりに似た感情論で動いているわけだから、自分たちが拡散している断片的な情報について当事者から本気で詰め寄られると、返答に困ってしまうってわけですよね?

そういったアンチ肉食派の感情に任せた主張や行動が目につくため、もはや本当に畜産業に改善すべき点があっても「またアンチの主張か」と思って相手にしなかったり、反発を抱く一般人も少なくありません。本来であればより良い飼育方法について議論し合うべきなのに。

■ 命を頂かなければ生きられないという自覚がないんじゃない?

いつも思うのが、私には「動物を食べるなんて野蛮だ」というこの考えは、正直幼いというか、食べ物への感謝を知らないまま育った人に見えるんです。
清潔な都会でいつもパックになった肉しか見ていなくて、私たちが生命の犠牲なくては生きられないという自覚なく育ち、あるときその事実を知ってショックのあまり肉食を否定する。そんな感じじゃないでしょうか。

「動物愛護系」ヴィーガン、アンチ肉食派たちは植物さえ食べていれば罪逃れしてると思っているようですが、植物だって同じ生命だし、本来は食べられることを望んでいません。アンチ肉食派はつねに生き物が痛みを感じているかどうかについて議論していますが、その意識はあまりにも幼稚で短絡的だと思います。痛みを感じているとかいないとか関係なく「命を頂いて生かされてる」という根本的な意識が欠落していませんか?

2013年、私は国立科学博物館で開催された、世界の伝統民族の暮らしを紹介する特別展を見てきました。そしてそこで買ったパンフレットに、イヌイットの暮らしについて下記のようなことが書かれていました。

私が島(セント・ローレンス島)に滞在中の1997年3月22日、ユーピック・デーという祭りが学校の体育館で行われるというので行ってみた。(中略)その片隅に女性たちが集まっていた。近寄ってみると、ホッキョクグマの皮をなめしていた。昨夜撃ち殺したものだという。小さな子どもたちも、ホッキョクグマの頭がついたままの血だらけの毛皮を怖がらずに平気で触っている。

野生動物の解体シーンを日本人に見せると、「野蛮」「残酷」「気持ち悪い」と顔を背ける人は多い。屠殺、解体は見えないところで行われ、都市ではそのようなシーンを見ることがない。都市の子どもたちは、トレイにきれいに載った肉しか知らず、人間は他の生命を食べなければ生きていけないという、生命に感謝し尊ぶ意識が欠落してしまう。その結果、自らの生命をつなぐ食べ物を平気で残すようになる。大都会での残飯の多さは異常だ。

(探検家・医師・武蔵野美術大学教授 関野吉晴さん談)

意識の根底に幼稚な動機があるから、自分の主張を通すためなら手段を選ばないという幼稚な行動がともなう。アンチ肉食派はちゃんとした食育をされないまま育った人たちにしか見えません。