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AIに芸術は表現できるのか?【個人的考察】

うちの会社でもちょっと話題になったこの話。AIが生成した絵画がコンテストで1位になったというもの。

AI作品が絵画コンテストで優勝、アーティストから不満噴出

AI作品が絵画コンテストで優勝、アーティストから不満噴出

人工知能(AI)を使って制作した絵画がコンテストで優勝作品に選ばれたことをきっかけに、芸術作品がコンピューターで生成できるのか、そして芸術家とは何かという論議が巻き起こっている。

この話以前にも、AIが書いた小説が賞を取ったっていう話があった気がする。AIはあくまで機械だから、芸術や文学のような精神的創造性はできないと思われていたのが、審査員を唸らせるほど素晴らしい作品を作ることができたという事実は、多くの人に衝撃を与えただろう。

こういうことが起こると、メディアはすぐ「AIに心はあるのか」「もはやAIは人間の代わりになるのか」と書き立てるけれど、私は昔からこういう言い方や考え方は短絡的だと思っている。

私は、AIはどこまで行ってもAIだと思うし、そこに心や精神はないと思っている。ただ、みんなが好きなものを作る分には、いつかはAIの方が勝つかもしれないと私は思う。

AIは与えられた事をこなすだけ

一見AIは、なんでもできるように見える。将棋のプロと肩を並べて戦ったり、ネットユーザーに適切な商品を勧めたり、さぞ複雑な計算処理をしていると思うだろう。しかし実はそれらは、人間から与えられた具体的な指示に基づいて計算処理をしているに過ぎない。

少し前にNHKの番組で言っていたことだが、AIは小学生レベルの文章問題も解けないという話を聞いたことがある。
私の記憶だけで書くと信じられないと思うので、ちょっと古いけどAI開発の当事者が言っている記事があるので載せておく。

AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?(湯浅誠) - 個人 - Yahoo!ニュース

AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?(湯浅誠) - 個人 - Yahoo!ニュース

「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトを率いてきたAI研究者・新井紀子氏は、その過程である疑問にぶつかった。「人間は文章を『読めて』いるのか?」。AI研究と読解力、そして子どもの貧困問題の関係とは?

この記事にも書かれているように、AIは、以下のような問題を解くのに非常に苦労するという。

一日10台の自動車を生産する工場が3日間操業した。さて、自動車は何台できたでしょう?

答えは当然30台なのだが、AIにはこういう問題は解けない。一方「10人が3個ずつりんごをもらった。りんごは全部でいくつ必要か」という聞き方だったら、解ける可能性はあるらしい。つまり、掛け算をするのか割り算をするのか、はたまた足し算か引き算か、そういうことは人間が指示しないとAIはできないというのだ。

だからどんなに素晴らしい芸術作品を生み出せているように見えても、それはあくまで人間から与えられた具体的な指示と、あらかじめ学習している膨大なデータに基づいてやっているだけだ。

実は受賞した件の絵画も、裏では死ぬほど人間の作為が反映されている

今回話題となったAIの絵画の話も、記事をよく読んでみると、制作者の意図が最初からかなり具体的であることが伺える。表現したいモチーフはあらかじめ決めていたようで、制作者の意図に基づいた結果が出るよう、AIに何度も何度も指示を出している。そしてAIは基本アホだから、平気で頭のない人物の絵が生成されてしまうので、そういう場合はPhotoshopで描き足したらしい。つまりこの作品は、人間の創造性に対してAIがどこまで再現できるか実験した結果と言えるだろう。

AIの精度が上がっても、人間にしかできないこと

もし今後AIの精度が上がれば、さほど具体的な指示を出さなくても評論家が絶賛する作品をバンバン生成できるようになるかもしれない。だがそれでもAIに精神が芽生えたという話にはならない。それはAIが「どのようなものを作れば審査員の琴線に触れるか」ということを学習した結果に過ぎず、人間のような自主的な創造の発露とは根本的に異なる。

AIは人から求められているものを作る事には長けているが、求められていないものを作ることはできない。一方人間は、誰からも求められていないものを作ることができる。溢れる個性や育った環境によって、何を表現したいかは人によって異なる。それが、一定数の人間に受け入れられれば名作と言われるが、受け入れられなければ駄作と言われる。AIは、その名作と呼ばれる作品の特徴を機械学習で真似ることはできても、自らもがき苦しんで何かを創り出そうと働きかけることはない。

AIへの過度な期待は人間の軽視ではないか?

芸術とAIについて検索すると「人間は自分で一から物を作ることは出来ず、見聞きしたことからインスピレーションを受けて創作するのだから、AIの機械学習と一緒」という主張が少なからず出てくるが、それはあまりにも人の精神を軽んじた発想である。何かを参考にして物を作るという作業自体は一緒であっても、なぜそれを取り入れようとしたか、取り入れてどうしたいのか、というのが人の精神であり創造性である。芸術作品を鑑賞する楽しさや創造する楽しさは、それが根源ではないだろうか。

アンリ・ルソーを思い出してほしい。素人画家でかつ天然である彼の作品は、パブロ・ピカソを大いに魅了させた。私は最初、あまりにも突拍子のない絵を描くから物珍しくて評価されているのではないかと思っていたが、最近見る目が変わった。
それは、彼が少年のように純粋に絵を描くことを楽しんでおり、自分の気持ちが素直に絵に出ているから見る者に感動を与えるのである。ピカソが惹かれたのは、その純真さなのだ。人生経験や人格というものがないAIがルソーの絵を真似しても、楽しんで描いているという精神性は出てこない。技術でマネできたから凌駕したと思うのは、芸術に対するとんだ思い上がりである。

アンリ・ルソーが教えてくれたもの

アンリ・ルソーが教えてくれたもの

2か月以上経ってからの更新がこれとか、管理人どうしたん?って思いますね。私もです。まさかこんな記事を書くとは思いませんでした。ただ、別に出展の準備や仕事が忙しくて頭がおかしくなったわけではありません。マジな話です。 皆さん、アンリ・ルソーという画家をご存知でしょうか。少しでも美術に興味のある方なら知っているかと思いますが、下記のような独特な絵を描く人です。退職するまで税官吏の仕事をしていたので、よ...

AIが人間に勝つ日は来ない…でも人間次第かも

……と、最悪のシナリオを考えてそれに対して反論するような書き方をしてきたけれど、現実として人間がAIに負ける日が来るのだろうか?

私はそんな日は永遠に来ないと思う。繰り返すようにAIそのものには精神はなく、あくまで人間が作ったものを模倣することしかできない。

人は何かを創らずにはいられない精神的な生き物だし、写真が定着しても油絵がこの世から消えることがないように、人の表現する選択肢が増えるだけ、というのが実際のところだと思う。

ただ問題なのは、特定アーティストのスタイルを真似てそっくりな別の作品を勝手に生成したり、偽画像を使ってフェイク情報を拡散したりすることである。そして、個性よりもみんなに好まれるものを作ることだけが良いことだという風潮を煽ってしまう危険性はある。そうなると、人間はAIに翻弄されている状態だと言わざるを得ないだろう。

AI絵師はなぜ「個性的」な絵を追求しない? 「無個性化」が進む理由を考察する

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AIイラストは無個性化が進んでいる? 個人的な感想を言わせてもらえば、昨今のAIイラストは面白くないし、つまらない。絵柄が似通いすぎて退屈であり、何枚も見ていると飽きてしまう。Twitterで“AIイラスト”と検索し、上位に表示された絵を見てみると、小綺麗で、似通った絵柄の絵ばかりが並んでいる…

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